しっかりできない

23:34から。

なかなか濃ゆい三連休だった。
折角書けるのだが、明日から通常営業なのであまり時間がない。

前回サクッと書いたが、事実はその通り。

予定では昨日退院して満月さんと顔合わせをするはずだった祖母が、1日目に退場した。

残念ではあるが、もしかしたらこの世界線はもともと無理筋だったのかもしれないなと。
もう少し早ければというのも仕事の休みが取れずに無理だし、会いに行くだけというのも僕が諸々の家族問題を片付けて居なかったから難しい。ルートを変えるならもっともっと前に方向転換をすべきだったが、その頃の僕にはそんな力は無かった。

死に目には逢えなかったが、生身には挨拶できたから個人的には充分。
おばあちゃん、お疲れ様でした。

こういう言い分は不謹慎なのかもしれないから公言はしない。
悲しいのは悲しいのだが、儀式の何故そこを気にするという部分が気になって、おそらくこういうのがサイコパス気質なのだろうなと思う。自覚的サイコパスはこういうとき、あまり口を開かない方が良い。

母親が今住んで居る部屋で2泊して色々と話した。

その間、満月さんには構えなかったが、お母様と2人水入らずでゆっくり過ごしたらしい。お母様が一緒に来てくれていたのも必然だと思う。そして、この人、今回の成り行きをなんとなく予感していたらしい。

特に僕が何かを語った訳でもなく、色々と今まで言えなかっただろうことを話されたという感じ。僕は自己語りが苦手というか、あまり必要性を感じないもんで、あまり話さない。

仕事の時、相手の人となりが分かっていた方が話しやすいだろうなという人に対しては自然と少し開示するようになっている。別にそんな情報なくてもビジネスライクで話せば良いと思っている人に人となりを語っても仕方ない。後者のタイプの人はおそらくどこまで話してもお客様と店員の垣根を越えない気がする。店長なら無理くり越えるのかもしれないけれど。

話せないと話さないのニュアンスの違い。
言語化できないとか説明できない訳では無く、別に筋を追って話すことはできるけれど、僕のことにそんなに興味を持ってないでしょうとか、興味があったとしても、そこを聞いてどうするのだと思ってしまう。

「何処で何をしてきたか」より、「何をどのように感じるか、考えるか」の方が遥かに当人のリアル(生々しさ)に近いと考えるから、前者の情報を根掘り葉掘り話したり聞こうとしたりする人とはあまり合わない気がする。前者の情報って記録的な当人であって、たしかに誰から見てもそう見えるという意味では現実的というか社会的だけど、逆に言えばその情報は他人でも取得できるようなもの。これだけ集めても空虚なような。

後者の方は社会的に共有できないから、個別的に語られるしかない。
こういうのがお好み。

まぁ、母を亡くした母親の前で小躍りすることは流石に陽気な僕でもできなかった。
しんみり、これまでのこととかこれからのことをぽつぽつと話した。母親は自分が物語に参加していないと寂しくなっちゃうタイプ。昔は読書していたみたいだけど、自分事として読んでいたのだろうか。

結局、お通夜だけ行って、飛行機の関係で葬儀には行かなかった。
喪主である叔父さんが、無理しなくて良いよというの甘えた。実際は飛行機をキャンセルして、会社の休みを1日追加することもできたのだが、僕がそれをしたところで祖母は嬉しいと思わないだろうなという解釈。母親は確実、数年振りに会う姉やら妹ももしかしたら嬉しいかもしれないが、生きている人とはこんな場でもなく、お互いが会おうとすればいずれかの時空で会えるし。

僕はしたいようにしただけ。
個人が薄くなる場は祝い事だとしてもあまり行きたくない。ほんとに祝いたいなら個人的に行けば良いし、参加者の方向性が決まり切っているのが好きではない。

悼みも、心の中で当人がやることであって、まわりから悼んでいると見える必要も無い。
そういう行動で示さないと当人がその感情を認められないのであれば、参列すれば良いし、したい人がすること。

「何をどう感じるか」といえば、喪主ではない叔父さん夫婦と久々にあった。大学教授の旦那さんと、ばりばり働いている叔母さん。大学教授は退職して今は非常勤講師をしているのだとか。植物学系だから聴講したい。

叔母さんに、「硯君、全然老けてないね、マスクしているからかもしれないけれど」と言われ、マスクを外しても印象は変わらなかったらしい。個人的には顔付きは若返っていると思う。満月さんのお仕事についても少し話した。ちょっと距離を置いた話し方をするもんで好ましい。視界が高いというか。

叔父さんは開口一番、「佇まいに余裕が見えるようになった」みたいなことを言われる。見抜かれている。「人生楽しいなーと思っています」と言ったら笑ってくれた。

最終的に「良い男になったな」と言われたから、「そうなんですよ」と返した。
謙遜しなくても良いし、冗談を言わなくても良い。現在自分史上最もいい男だと思うもんで。

満月さんも連れてこのご夫婦のところには遊びに行こう。
たぶん、どうでも良い話がいっぱいできる。

どうでも良くない話しかできないのは詰まらない。

母親と話しているとき、硯は「もっとしっかりしないといけない、満月さんに見放されるで」と言われる。僕はこういう語調が最も嫌い。心配しているだけであって当人無自覚なのだろうけれど、あくまで自己語りというか。

あと、お酒ばっかり飲んでいたら父親のよう(ぽっくり退場すること)になると言ったことに対しては少しかちんと来た。個人的な解釈ではそうではない。満月さんはちゃんと自分の見解を主張した方が良いと言うが、これを語るとどうしたって母親を責めるような言説になるから言えない。別に僕は母親に怒っている訳でもないし、怒ったところで父親が帰って訳でも無い。

怒りはあくまで未來の行動を抑止するために使うものであって、過去に向けたら相手に罪を負わすことになる。

特に呪詛がある訳でも無い、と思う。

そういえば、従妹が葬儀の会場の写真を送ってくれて、その中に姉と妹の姿があった。
相応に年を取っているが、2人ともそれぞれ美人。満月さんもそう言う。なんというかこの3きょうだい、それぞれ愛が足りないさびしさを共有していると解釈しているもんで、配偶者と子供が周りにいっぱいて幸せで何よりと思う。不謹慎と言えば不謹慎だが、こういう場に皆で駆けつけることができる余裕がある生活をしているということでもあるし。

僕もそろそろ余裕を持つ世界線に移行している気がしないでもない。

やべ、文章脳が捗り過ぎて睡眠時間が押している。

総括。
全く休息にはならない三連休だったが、急速に世界線が動いていると感じた日々。

楽しいと感じてもおばあちゃんはきっと怒っていない。

おやすみなさい。

良い夢を。

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