おこのみ

22:34から。

本日の晩御飯はリクエスト以外、僕のお好みで良いとのこと。

リクエストは台湾焼きそば。自分で食べるご飯ではないから、満月さんのお好みに合わせられる。もう少し辛味が欲しいのだろうなと。僕は明日のお尻が心配というか、そこまで辛味に歓喜しないけども、刺激が欲しいお年頃(知らんけど)。自分が食べるより遥かに多めに豆板醤を入れといた。

自分用のご飯として、台湾焼きそばに使ったひき肉を辛くする前に少し取り分けておいて、マーボー豆腐にした。あと、鶏ハムサラダと大根の浅漬け。

さておき。

仕事の話の前に少し真面目な法律の話。
あんまり真面目に法律論を書くつもりではないから、いつものように読み流していただければ大丈夫。

社用車のラジオを聞いていて、教育関係の仕事で性犯罪の前科がある人は門を閉ざすという法案が通ったという話を聞いた。

なかなか攻めた法律だとは思う。憲法は個人の職業選択の自由を保障しているし、前科が何にせよ、その自由は保障されるべきという理念がある。個人は職業において自己実現する。

この理念を覆すためには、例外たるべき合理性が必須になってくる。

こういうことを某国家試験の憲法の論文でやるのだが、個人的にはアリだと思った。

ここで持ってくるのは性犯罪の再犯率の統計で、おそらくかなり高いはず。
データを見ていないけれど、こういう法案が出て来たということはそういうこと。

統計上のデータがしっかり取れているのであれば、これは不安ではなく安全が保護法益だから法律として存在して良い。保護法益というのは、法律によって守られるべき国民の利益という意味合い。規制対象が性犯罪の前科がある人ということは属性として特定されていて変に対象が拡がることはない。

要は、この法律が適用された後に教育者になりたい人は、初犯をしなければ良い。
中身で何を想っていたとしても。社会化されてしまったら、それで制限されても仕方ないよねと。

性犯罪ってほぼほぼ過失が無い。条例の痴漢とかはたまたま当たってしまったとかはありうるが、無理矢理まぐわいをして過失は在り得ない。ここでの故意は、一般的な語彙とは微妙にずれている。相手の性的自己決定権を害しているという認識。

あんまり細かい話は省略して。

ちょっと無理筋だなと思ったのが、前科が無い人でも、親とか子供とかの見解で危なそうかどうかを判断して、場合によっては配置転換をするとか。これって何も守られていないというか、魔女裁判みたいな話だと思う。

だって、何の行動も起こして居ない人のプライベートを他から聞き出して、危なそうだからそこには居させられないって、悪用し放題じゃない? 例えばヲタクな兄が嫌いな妹さんとかが、あいつはヤバイから先生になるべきではないとか、私も性的に見られたとか言ってそれがまかり通る世界のように解釈される。

明確なものを規定しないルールはルールではなく運用者の匙加減でなんとでもなるもんで、これが今の日本で通るとしたら、日本はだいぶやばくなっていると思う。

人が異質な者に感じる素朴な気持ち悪さをルールで守ろうとするのは無理筋。

この法案の前半は特に問題無いと思う。
ごめんけど、故意である以上、そこのレッテルは一生負うしかないなって。他の職業を選ぶ自由は制限されていないという意味では自由だし。

後者は明らかに法律としてちゃらんぽらんだから、仮に法律になって適用された人が裁判所に訴えたら、憲法違反と判断されると思う。

時事問題が流れてくるとこうやって考えてしまうもんで、ニュースは見ないことにしている。テレビは話題にはできるけど特に発展しない、賛成するか反対するかしかない話って面白くない。

やれやれ。

相変わらず、あんまり時間が無い。

お仕事。

三連休で色んな人と再会したからか、ちょっと他人に対する解像度が上がっている気がする。いや、三連休で自分が不自由だったから、解放されているという解釈もある。

我ながらナチュラルで人を気遣う質なもんで、ここは一生変わらない。

でも僕の気遣いは、自分が良く見られたいとか、相手を心配しているではなく、単にそう見えることを見えるように捉えているだけ。満月さんはよく、私のことを見透かしているのかって反応するが、普通に貴方を読んでいればそうなるよねという主観しかない。

で、気遣っている自分が善い人だと思っていないから、時間が無ければできないし、調子が悪くて閉じてしまってもできない。他人に迷惑をかけない限り、調子に善し悪しも無い気がするけれど。

気を遣っているのに相手から返って来ないと思っている人は、あくまで自衛のための気遣いだと思う。別にその世界はそれで良い。

最後に。

このテーマでも1つ記事が書けそう。

「結婚、厳密には入籍について」。

なんだかここって社会的にはおめでたい感じがあるのだが、個人的には特にたいしたことではないと思っている。母親が言っている「しっかり」はここにもちゃんとした意味を置かないといけないということも含まれている模様。

バツイチの5つ下の従弟が次の結婚をして、子供もできて凄く幸せそうだった。
この幸せは幸せで良い。

ただ、結婚式は挙げなくても良いけれど、写真は撮った方が良いという見解に対して、なんとも思わない。曰く、入籍するのは書類作業で済むけれど、写真を撮ったら実感がわくとかなんとか。

ここでいう「実感」ってなんだろうなと考えると、番の相手としばらくは人生劇場で過ごすということなのだろうか。

僕は結婚をたいそれたゴールみたいに考える人と相性が悪かったもんで、ここまで別に籍を入れることに意味を感じなくて、愛想を尽かされて来た。世界観が合わない。

いや、もちろん僕の不具合もある。

結婚の「実感」って、社会的に周りに認められるという意味合いでしかない。
なんなら「恋愛感情」だって、公的に自分の感情が認められるという意味だろうし。

どうでも良いけれど、社会的にも文句言われないし、なんとなくお得な制度もあるから入籍するのが僕と満月さん。結婚しないと生活を一緒に継続できないというのは、テスト不足な気がする。

一緒に生活するテストもそう。
僕のテストだと満月さんは2人のお部屋を実家と同じように捉えて居る節があるもんで、もし子供をこさえてもこんな感じなのかと想うと、まだ子供は早いのかとも思われる。

もちろん、別に子をこさえることが夫婦の成果という価値観も無いから、どうでも良い。
そのうち子育てしたくなったら、養子を愛せばよい。

この文章に書いているようなことを母親に全部開示したら、「しっかり」の認定になるだろうか。

どうでも良くはないけれど、囚われても居ない。

おやすみなさい。

いつも読んでくれてありがとうございます。

良い夢を。


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