陰陽

22:26から。

水が美味しい。1.5リットルくらい飲んだ気がする。
北アルプス万歳。

本日はお休みなのに、仕事日よりお疲れ。
時間の使い方を違えたのだと思う。ほんとうは引きこもりたかった。

引きこもり時間から捻出されるのがお勉強タイムであって、ちゃんと時間を確保しないと得られる資格も取れない。ただでさえ来週からしばらくは引きこもれないし、去年の試験の辺りは引きこもり時間を確保することにミスっている。新人なのに残業が増え過ぎて引きこもれなかった。

とはいえ、ここでは憤怒氏が出てくるいわれはないから、大人しい。
憤怒氏は、他責で憤らないから、どういう流れであれ任意で僕が選んだことに対しては口を出さない。

憤怒氏とか第三者的に捉えているけれど、僕は別に多重人格者ではないし、一般的には怒りの感情で良いと思う。ちょっと切り離しているだけであって、自分の中の一部であることに違いは無い。単に、怒りの感情にあんまり影響を受けない、与えないためにちょっと距離を置いているだけ。

たぶん、誰でもできること。
知らんけど。

引きこもり時間が無いと発展できないという説はともかく。
僕は基本的に独学派なので、誰かと一緒に学習していく感じが分からなくなってきた。進捗は人それぞれだもんで、学習ってそもそも集団としてなすこととして適していない。今日行くならまだしも。

これとは別に、どれだけ愛して居る人と過ごしたとて、1人で居る時間が必要になる。
これがAB型なのかINFJなのかHPSなのかはともかく。どの類型でもその性質はあるだろうから、どこから来ているのか不明。不明で良い。

僕はこの時間をお風呂読書として1時間弱で確保している。
これで十分。良くをかけば森林浴時間なんかもあれば良いけれど、そこまで贅沢は無い。

鷲田清一さんのファッション論って、まだ冒頭だけど、衣服は肉と文化のバランスで成立する拮抗したところにしか存在しないということだと思う。だとすれば、精神の類型も衣服みたいなものなのでは。服の定義は、そとからそういう風に見えること。

僕も色んなマイノリティーっぽい性質満載だから、他者から珍獣のように見られる。
ただ、僕の珍獣性はこの類型論から外れているところにあるもんで、場当たり的な珍獣論で評されてもピンとこない。

素朴で居るほど、類型がどうでも良いし、他人の類型のこともどうでも良くなる。

僕は主観では陰キャなのだだが、生粋の陰キャである店長とか満月さんを見ていると、そうでもないのかなという説が出てくる。陽キャはよく分からない。僕の観測だと、他人を自分の世界の登場人物とできることが陽キャぽいのだが、陰キャも普通にやってそうだから厳密な区分けにはならない。

引きこもりの時間は必須だが、それほど他者に物怖じしないのは陰キャではなく陽キャ寄りだと思う。満月家のお母様にもお父様にも特にそんな感覚はない。それぞれ人間として愛すべき人だと捉えておる。僕が満月さんの伴侶として良い男であるような仮面を被らなくても良い。

個人を個人として感得するのは陰でも陽でもないのか。

やれやれ。

からくりサーカスのアニメを引き続き見ているのだが、藤田さんの作品ってシビアに合理性がある。過剰な説明がなくてもインフレも無いし、きちんと理屈がある。ある意味現実みがあるから、読むのにエネルギーを遣う。物語としてはフィクションだが、ナカに書かれていることはナマの現実という。

主役級の人でも簡単に退場してしまうのが人生劇場との類似。

是非「うしおととら」も読んで欲しいのだが、読んでも読書感想文として距離を取って書けるものではない。

なるほど、僕が読書感想文をきちんと書けないのも、距離感の話か。

安部公房さんの「人間そっくり」を読み終えた。
小説としてめちゃくちゃ面白かったのだが、どう評価するかという言葉が見当たらない。
SF作品って不合理の領域だから、これはこれで楽しいという感じ。

結局誰が火星人か分からなかったけど、それが醍醐味。

もっと書きたいところだけど、引きこもり時間が少なかったもんでここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。


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