記憶と記録

22:42から。

レポートを書く時間を取れないくらいの忙しさ。
せっかく満月さんが作ってくれたおにぎりも味わって食べるタイミングがなく、合間を縫って、なんならお花を摘みに行く時間より短く立ち食いで飲む。

ただ、それほど成果に繋がらない時間を過ごしてはいなくなったという自己観測。

このままお仕事の話。

お客様への解像度が上がってきている。
知識が増えたというよりは、どこまでも聞いて良いのだという意味合い。もちろん知識とのセットではあって、知識によってお客様の終着点を設定して、そこから逆算する世界の中で自由に顧客を読むという感じ。

自分の仕事ベースだと聞き逃すことはあっても、お客様の世界ベースでそこを見落とすとそのうち問題になるみたいな、整合的な読み手の視界。

あんまり具体例を書けないからピンとこないだろうな。

人の話を本質的に聞ける人は話が上手い人よりも重宝されがち。
僕が仕事上で人をたらすのであれば、僕の話に感化された訳では無く、僕に話しているうちに自分を見出したみたいな話。対価関係では人を捉えて居ないし。

余計にややこしい。

名前はもう覚えていないけれど、某国家資格を受けている最中(もはや10年前くらいだろうか)に派遣で行った工場の部門責任者の人。特に聞き出した訳でもないけれど、当時の僕と齢が同じくらいの息子を亡くしているというエビソードが語られた。それでやや大事にしてくれたのだが、「来年はもう来るな」と言われたのが印象的。たぶん次の年からは行っていない。

お仕事って、色んな人と一期一会で接する訳で、その中に引っかかるものが無ければ身にならない。それはお客様視点でも然り。だいたいは通り過ぎるもの。記憶のデータベースにとって、固有の人格でいちいち場所を取っていたらパンクする。経験則としてこういう人が居たという希釈化された情報としてはありうる。

今の職場も好きだが、前の職場も好き。2年前くらいに円満に退職したのだが、バーベキューに誘ってくれるなら妻も連れだって参加して良いと思っている部外者。

特に何かしてくれたとかでもないが、環境として良かったもんで、今も恙なくやっているかなぁと思う。仕事関係の車がここでも運転しているから、折々思い出す。

当時の同僚で覚えている固有名詞は60%くらいだが、顔は90%くらいは思い出せる。
当時に脳内だけタイムリープしたら70%くらい思い出せた。

別にこんな話はどうでも良い、とはならなくて、世界の解像度は何かを覚えられるという更新寄りもあるし、何かを覚えているという記憶寄りにもなる。個人的には忘れてしまっているものは人格として消化されていると思っているのだが、となると言語化は不可能。

僕個人はそれほど記憶力は無いと思っている。なにせ、基準がコンピュータだから。
なんでもそのままに記憶できる能力があったら良いなとも思わない。そんなのキャパオーバーというか、世界が固定化されてしまう。

記憶って、お勉強ベースで語られることが多い、
お勉強として世界を捉えた記憶力の極致は円周率を人間の脳で何桁までみたいなことになりそう。暗記の世界か。

こんな機能はオリンピックだし、日常の記憶とは関係ない。

日常の記憶は、もっと生臭い生活の領域。
この意味で言うと、僕が出逢って来た人の中で一番記憶力があるのが満月さん。

某国家試験であくせくしている院にもこういう人は居なかった。
いや、僕が入った院のレベルの話もあるのかも。

記憶に身体が追い付いていない読み味は無くもないけど、憤怒氏に影響されて何某か動いてくれた。ここの解釈は、動いてくれて在りがたいと思いつつ、動ける余力があったんだという感じ。

僕はできないことは求めないけど、できるのに怠けていたのだったらチョコザップとかで運動したら良い。

できるかできないかという分水嶺は、現代社会の本質。僕はできないことには何も思わないけど、できるのにしないことはなんでって思う。満月さんは僕と過ごしていてできる領域が拡がっている気がする。個人的には言語で目標設定してそれができない時って、相手がではなく、自分が信用ならんとなるような。

あんまり書くと満月さんの憤怒氏が出てくるかもしれないけど、僕は抜けているけど、このお部屋において、どれだけ忙しくても夜ご飯を準備しなかったことがない。皆勤賞。抜けるのは会社とか知人とかの人間関係なだけ。

(言い過ぎかもしれない)

どうでも良いと読まれるはずがない、どうでも良い話。
満月さんは、これを作りますとかこうしますという料理において、きちんとそれがなるのが、80%くらい。この前提で何を作って欲しいかって聞かれても、欲した料理が提供されない可能性があるのかという前提になるから、あんまりリクエストができない。

完全に休みが取れる時間ならともかく。
たぶん三時間くらいフリーがないと。

おそらく満月さんはここをアンバランスだと認識していないし、僕もそれで良い。
ほんとに時間が無かったら僕も無かったと言うし。愛があるもんで自分の時間は削れる。

この叙述をシビアだと捉える人はあんまりパートナーを欲していない人だし、自己都合で世界を捉える人はパートナーシップを構築しない方が良い気がする。

いや、この世界は完璧主義過ぎるか。

憤怒氏怒ってない。

また明日。

良い夢を。
おやすみなさい。


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