余生

22:54から。

本日はお休みで夜から会社のご飯会。

その間に何をしたかと言うと、髪を切りに行って、洗濯を2回して、残っていた洗い物を全部して、過去問を1年分した。割と休日も時間に追われている。休日特典で道中2本ビールを飲み、ハイボールを1杯いただいた。

ともあれ。

ちょっと仕事のLINEが流れて来て、ちょっと反省していた。

自責にするではなくて、世界観の共有が足りなかったなと。
要は教育の話。別に私生活で他人を自分の世界に持ってくるようなことはしない。それはお互いが合わせたらいいだけであって、どちらかがどちらかに合わせるような世界ではないし。

ただ、社会で言うとそうも言えない。
あんまり細かくは書けないのだが、僕がお仕事をしている社会領域で言うとどれだけネットで調べたお客様より情報というか経験を持っているし、その経験の中でちゃんと移動できるためにはどうすべきかという、主観的世界と社会的世界を仲介する段取りがちょっと間違ったのかなと。一回間違えるとそのお客様は戻って来ないし、縁が途切れてしまう。

こういうのが「教育」という概念なのだろうと思う。
主観の世界ではない世界と繋げてあげること。あげるなんて言うと上から目線っぽいが、教育って上下ではなくて次元としては左右の話だと思う。上下関係を前提にした言葉は教育ではなく命令になる。いや、この上下を教育だとする概念もあるだろうけど、上下だと教わっていうのではなく、詰め込まれている感覚になる。自然に上から下に流れるのは、教育される側が上をナチュラルに尊敬しているからであって、尊敬できるかどうかが任意の場合。

ここの本質は、当人の主観では認識できない領域に認識を拡張することであって、つまり、お勉強とは自分で自分を教育することなのだろうなと。自分が人生劇場でお勉強していると思っている人は、他人に命令的教育はできない。

僕も自分に命令はできないし、人にもそんなことはしない。
自分と世界のズレを認識できる人は、人のことも気にすることができるという説。

この話、割とどうでも良いのだが、家を買うのと借りるのとどちら損しないのかという論争について。

個人的には若いうちにはどっちでも良いけど、ある程度年齢行ってから都会で部屋を借りるのは難しいから、お金があったら買った方が楽だし、賃貸感覚で買える家を選んだ方が最終的には良いのかもなと。

賃貸で大型犬なんてほとんど飼えないし、色々部屋で自由に過ごしたいのであれば、買うしかないような。僕はもともと持ち家で犬やら猫やらを飼っていたところに生まれたけど、賃貸に特に不自由していないから気にはならないけど、割と身の丈に合わない願望を持っている人が多い。

こういう条件設定は夢ではなく現実的な願望だから、変な話、カウンセリングして調律してあげないといけない。プライベートな知人だったら適当に聞き流すけども、お仕事だとこちとらプロなので、無理なものは無理だと納得させてあげないといけない。たぶんもっと日本の田舎に行けばそういう物件はありそうだけど、生活圏は移動しないままで願望は叶えたいという無いものねだりな人が多い。

この話、別に僕の業界の内情を語っている訳ではない。
おそらく、何処の業界の人もこういう内情があるだろうなという薄く引き伸ばしたはなし。

そうして、飲み会。

楽しかったし、面白かったけれど、特に濃い話は無かったなという印象。
別に誰かと濃い話をしたいということは無いのだが、せめて本質で雑談したいなという気はする。

僕が明日(今日)婚姻届を出すと言ったら、「地獄へようこそ」と言う人が居た。女性陣はそんなことは無いよーとかかしましい。

地獄へようこそと言った人は、女性は結婚して一週間後には鬼になると言う。女性陣の方は、女性は離れるのも一瞬だから、頑張って繋ぎとめようねみたいなこと言う。

なんという主観的な世界。

僕は満月さんの本質はまぁまぁ掴んでいる。結婚後にさらけ出すほどの正体は無い(良い意味で)。婚姻届の意味が社会的意味がほとんどだし、主導権の握り合いも起らないだろうし、色々駆け引きしている男女関係の人達に対してごめんなさいという感じ。

家事領域は僕が主導権握った方が良い気はする。
例えばだけど、子供ができたとして、疲れているから家事ができなかったってたぶん理屈が通らない。

子供ができたら私生活領域も仕事にするとしても、もともと疲れたときに動けなくなる満月さんの本質がどこに行けば良いのか。

僕はできないときにしないことは何とも思わないけど、できるときにしないことはなんでなのだろうとは思う。時間的にも精神的にも肉体的にもできるタイミングでしないのなら、それはしたくないからしなかったと同義よなと。いやできないんだったら僕がするから、そこは投げて良いのではというお話、

全然それで良い。
それが共同生活なのかどうかは定かではないけれど。

悲観的に書いているようで、きちんと満月さんとの未來を考えている証左。
こういう考え方を満月さん以外にしたことがない。

好きという感情は刹那だけど、それだけでは一生過ごせない。
だから結婚があるというのはありがちだけど、結婚が無くても一生過ごせそうだから結婚するだけ。

(僕はもう恋愛市場で人をたらす情動が無い、時間かけて返ってくるのが好意とかまぐわいだと割に合わない)

老人になったもんだ。

お爺さんは余生ではっちゃけるだけ。

おしまい。
おやすみなさい。


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