いっぱい寝たい

22:55から。

休みなのに土日より終わり時間が遅い。
大変なお仕事だった。店長ならあんまり相手にせず、先輩女子なら最初から見向きもしないだろうお客様をなんとか収めつつある。

色々と大変で、胃が痛かったけれどなんとか協力してもらった。
良かった良かった。

店長からは隙間産業と評される、満月さんから社畜と評される。
たしかにちょっとお仕事の枠からは外れているかもしれない。

でも、このお仕事の醍醐味はここだと想っているもんで、通り過ぎるだけだと相手のことが分からないし、これはこれで良い。

こういう人達を含めて仕事時間内で収めたら良いし、それくらいの技量は習得できそうな気がする。

僕のプライベート時間を奪ってからにとは一切想ってなくて、なんというか、達成感しかない。たまたまの縁だし文化も違うけれど、そういうもんだし。

職場の人達も僕が仕事できていないから休めて居ないという俯瞰ではなく、ちゃんとやることはやっているのに追い付いて居ない(厳密に言えば、やることをやれないほど忙しくしている)という生温かい認識だから、見下されては居ない。新人さんにも僕を見習わないようにと言っている。

見下される環境自体には何も思わないけど、その環境で生きていると不自由になるもんで、今の職場環境は気楽。評価の為ではなく、自分が動きたいが為に動ける感じ。

満月さんの予言だと硯は売上がそのうち爆裂するとのこと。成就するように行動している気はしないのだが、たしかにそういうことになりそう。

基本的に呪詛が無くなってしまって世界がクリアになっている。
自分の世界が制限されることに特に気にならなくなってきた。僕の世界にはもう恨みつらみは無い。聖人ではなく、星人。恨みつらみって合理性ではなくて感情論。

最近何かしらの縁で感情と言葉を考察している人を読んでいる。
価値観が動くから(過去の)言葉に責任を持たないって、僕の感覚だと誠実な人だなという印象。

僕は人格として責任を持つという立場なもんで、同じ標準で、あんまり人に自分のことを離せないというのはある。話そうとしても相手の世界観の範疇だからあんまり話したことで通じたみたいな感覚が無い。

これは、自己感が更新可能性を持っている人の特有な感じかもしれない。
そういう人って、自分のことを決めずに生きている。

僕もこの年齢になっても未だに決め切れない人だけど、それは一生モノだから、特に相手のせいにするもんではないなという認識。特に自分の固有の場所って要らんよなと。

自己認識が固有であるべきというのは、結構フィクションだなと。

とか言ってるとフロイトさんとか由来の自分が1人しか居ないという認識の人には酷な話になっていく。このお仕事で人と接する絶対数が増えたからかどうか知らないけれど、人の感情も固有でなくて関係による気がする。ちゃらんぽらん性が感情なのかというと微妙。

動かせない自分にアイデンティティを認識するのか、動いていても観測ベースで自己を捉えるのか。

僕は関係性ベースで自分を捉えては無いけど、満月さんと過ごすのは楽しい。
満月さんの認識も更新されているっぽいし。

そろそろ満月さんにも僕の恋愛遍歴を語るべきか。
嫉妬されるだろうからではなく、これを語ったところで何の意味があるのだろうという認識。僕自体は別にこれを話したくはない。

僕の歴史を共有したところで、過去の僕は今とは乖離しているし、ここの影響は全然無いから寓話でしかない。
この話をしたところで今の僕とはほとんど関係していないのだが、それでも聞きたいのだろうか。

僕の人生劇場というか人格とは割と無関係だけど、あくまで個人的に関係した話はあんまり感情論では無いから、話したところで、意味分からないで終わる気がする。

感情が動くから関係に価値があるというのもちょっとおかしい。
合理主義ではいけれど、感情が合理と思っている人は多い。

感情は不合理だから、起点をここにすると論理的な説明はできても合理的な説明にはできない。

明日は休みとは言え。あんまり夜更かしできないからここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。


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