目次を作る気がない



22:04から。


朝起きると、満月さんが居ない。別居か、どこ行ったと思う起き抜け。

覚醒していくうち、そういえば、朝チョコザップに行って来ると言っていた記憶が蘇る。起き抜けの記憶力はポンコツ。1時間ほど汗をかいて来たとのこと。行動力が素晴らしい。尊敬。


僕は休日出勤。ほんとうは昼過ぎまでに終わせて、宅建のお勉強をするつもりだったが、夕方になってしまった。お昼ご飯を用意していなかったから、夕方になか卯で食べて帰った。私物携帯も忘れて行ったポンコツ。


ただ、帰ってきてちゃんと1年分はやった。


本日の出勤はヤンキー女子と店長。ちょっと先輩女子も居た。

雑談で、満月さんの話が出てくる。話の流れ(「硯姓になって金運が上がった」という発言)で、運試しの話をしたら、先輩女子、満月さんがするのは意外だと言う。貴方の他人の人格評価は貴方の世界の枠内での思い込みだよと内心でつぶやく。


ヤンキー女子が「いつも笑っていて、一緒に居たら元気が出そう。怒らなさそう、怒るんですか」と聞いてきたもんで「怒りますよ」と返した。そうすると、あぁいうにこやかな人が怒ったら怖そうとか一頻り盛り上がっていた。


個人的には、満月さんが「いつも笑っている」という評価はなんというか満月さん側からすればしめしめだと思うが、観測している僕からすると、高音の「アハハ」の笑い方はペルソナっぽい。別に無理しているとかではなく、防衛機能の外面を受け持つ役柄がやっているのかなという読み味。自然な笑いはもう少し音程が低い。


まぁ、外から朗らかに見えるのは良いことだし、僕と居てもだいたい朗らかだからだいたい一致はしてきているのだろうけども。


ヤンキー女子と店長が結婚指輪の話をしている。

女性にとっては憧れで、男性にとっては買わされたみたいな感覚みたい(聞き流し)。


「硯さん結婚指輪していないですね」と話しを振られたのだが、物質に証しを求める精神性ではないもんで、ティファニーがどうのこうのと言われても全然ピンと来ない。満月さんも要らない派だし。指輪って、変な話、拘束の証しなような。お互い縛られないと実感が無いなら買えばよろしい(言い過ぎ)。



店長が外出したタイミングで、ヤンキー女子と雑談するタイミングがあった。


僕の仕事振りについて、尊敬しているとのこと。

別に僕に対しておべっかを使う人ではない。


照れくささも、良く見ているなということも無く、単に、僕の動きって人から尊敬されるところまで来ているんだと、若干感慨深いだけ。


だからもっと情報を流そうかではなく、その前から流そうとは思っていたもんで、ここぞとばかり色々流しておいた。この店舗情報を適切に流せるような人材が居ない。仕事ができる人が仕事を教えるのが上手いとは限らない。


あと雑談の延長で私生活の話。


今のカレは、全く家事をしない人らしい。ご飯の炊き方も分からないのだとか。ヤンキー女子と出逢う前は、お惣菜生活だったらしい。硯さんみたいにご飯を作れる人は羨ましいとか言う。いや、別に口説かれてはいないです。


この話を聞いたとき、別にいまどきの男性も料理くらい作れないといけないよねという感じはなく、僕もこのカレみたいに家事ができない男で居る世界線はありえたよなと思っただけ。


仮に大学も実家から通えるところで、そのまま圏内で就職して恋人ができて結婚したとしたら家事を習得する時系列が無い。大学は県外になったけど、周りで自炊している男子も居なかったし、そのままの世界線だったら料理は作れるようになれなかった。作れるようになったのは、性差とは関係ないところで生きたタイミングが在ったから。必要だったからでもなく、しようとできる環境があったということ。


ジェンダーで怒られるかもしれないけど、女性って生きていく中で自然と料理をする、教えられるタイミングがあると思っている。それでできるようになるか離脱するかはどっちでも良いんだが、学習できる環境が比較的にはあるという意味。


男性はどうしても職業的なところを求められるから、料理を職業的に志向しないとこの世界に入れない。だからプロの料理人は男性比率が高いのでは。


生き方の枠組み。


僕は職業的志向も日常的嗜好でも無いところで料理を作っている。どうでもいいけれど、子供を授かったとして、料理を教えるのは何歳以降が虐待にならないのだろうかみたいなことをふと思った。労働ではないという立ち位置だと、科学の実験とかの雰囲気なのだが、包丁を使わせるのは終盤だとしても、早いうちに教えても良いのかなって。


ここでヤンキー女子とカレとの関係。

なんだかんだ文句は言っているのがが、彼女はカレにとって母親としての立場でありたいのかなと読み取れる。母親は見捨てられないみたいな。ちょっとお母様の世界観と似ているようなと思ったが、あんまり突っ込まない。


本当に対等な人を求めていない説。

自分がやってあげている関係の方が良いのかなって。


関係が対等で在るならば、自分の方に負荷が重いと思えるのは割と共依存な気がする。

憤怒氏の代弁か。


ヤンキー女子のあだ名を変えたいのだが、本日の雑談でもあんまり本質が読めない。

ペルソナが厚化粧なもんで、結構壮絶な人生劇場を生きてきたのだろうなという感じはするのだが。逆に先輩女子はペルソナが薄化粧過ぎる感じ。ペルソナは装飾ではなく自己防衛なんだから、誰かがそれを教えないといけなかったような。


村上春樹さん語録で言うところのスポイルっぽい。

スポイルされている人って世界が主観。ほとんど環境のせいだが、いいオトナが自分の不具合を環境のせいにするのも結構おかしい。自分の世界観を越境するきっかけが全く無い人生劇場なんてありえないし。


例えば、側溝に落ちるとか。



ともあれ。

個人的なところ。


仕事をしている時に発達障害みがあって、どう改善しようか目論んでいる。

重度になると天才だけど、僕は凡人の中にそういう色味があるというだけ。雑談しながら作業できることを訓練することと、優先順位の処理工程をどうにかしないと、というところ。1つずつ処理するということができなくて目が回ってパンクすることがままある。


外からは全くそんな風に見えないように振る舞えているのは、訓練のたまものでしかない。いや、たまたま時世に合った脳機能があっただけかも。


この多動性を利用して色んな文章を並行的に読めるようになったし、そろそろ雑談しながらでも店長がタスクをぶっこんで来ても気にせず自分事をやれるようになった方が良い。タスク処理に人が入って来ると情緒という量で測れないこともやってきて大変。


個人的には発達障害の色味がない人の方が、世界を思い込んでいる気がするのだが、不明。

そういう障害だと診断されたことは無いし、別に診断される為にお医者さんに行くほどの問題はない。


内部に問題を抱えているのであれば、客観的に観測してくれる医療機関にかかった方が良いとは思う。メタ認知してくれる知人でも良いかもしれない。



やれやれ。


ここからが本題だったりする。


世界線がズレたからもしれないけども、世の中のこの先について考える余白ができた。


資本主義の先にはコミュニズムがあるみたいな話を読んだのだが、あんまり良く分かっていない。


ただ、実感として、交換できない物を媒介する為の貨幣を前提とした資本主義って基本的には権利義務の話であって、具体的な人と人の関係が捨象されている。だからこそ社会が発展したというのはあるのだろうけども、この先には、匿名性では生きられない世界がやって来るのかなと。


資本主義では交換できないものというと、具体的な人間関係における、資本主義で言うところの貨幣では収まりきらない関係。


満月さんが仁義を気にしているところの延長でもあるし、民法上の贈与でもある。


仁義って、色々理由がある。関係性を守るためとか、貰った物は他の形で返さないととか。

僕はこの関係が義務であると思っていて、まぁまぁ嫌だった。具体例で言えば、年賀状。


ただ、現在だとこれって義務ではなくなっている。

関係性を守るために何かをあげるではなく、どっちでも良いけど、あげたいならあげようかという、くらいのフランク。


だったら、またあげる、返す側になっても全然問題ない。

もらったから返すという報恩感覚ではなく、お互い一方通行のあげるだけ。


日本の古来の感覚が再構築されそうで、誰かにあげられない人は淘汰される時代になるかもしれない。物だけではなく、感情とか気遣いとか。


人間レベルが問題になってくる世界だと、どうなるんだろうな。


はい、ここまで。


長文読んでくれた人はお疲れ様です。


良い夢を。


おやすみなさい。





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