めた



22:18から。


のほほんさが世界にバレて来ている。

素朴に生きればまぁこんなもの。



起き抜け。


満月さんにすしざんまいのポーズをしたら、「犬のようだ」と言われる。ポーズに脈絡も動機も無い。ポーズの口が犬っぽいらしい。


長閑すぎてすまんやでという関係性。


お仕事。


大丈夫かなと懸念して悪い方に妄想していた案件が、すんなり終わった。

悪いことはだいたい起こらない。弊社の口コミが高すぎてサクラなのでは訝って来た人も、そのまま何事も無く。


個人的には口コミ営業は結構好きだったりする。

別に良い評価しなさいとか良いコメントを書かないといけないなんて言わない。ただお願いができる領域。対価として支払っていただくのは数分間の時間(とちょっとした文章構成)だし、一方通行ではない世界だなと。


何かお得なことをした対価としての義務だからって口コミは求めないし、単なる感想文をお願いしているだけの話。


僕はこの会社(厳密にはこの店舗)が好き。口コミを見てやってきた人は僕が対応しなくても損はさせないと思っているもんだから、余計に捗る。


その延長として、お金を支払っても良いかとなれば、利益としては尚良いのだが、それはこちらでコントロールできる領域でもないから、ごり押しできるところでもない。本当にお得なのは他にもあるかもしれないけど、職分領域でしかお客様とは関われないから、そこで良い物を選べるように力添えをするのみ。


諸々の有料記事がなんとなく嫌だなと思うのは、課金しないと中身が分からないところ。例えば、サンプル記事が1つ無料開放されていればどういう文体というか情報なのかは読めるから参考になるけれど、それが無いと、あくまで看板(タイトル)で煽った後出しだよなと。


もちろん、僕のお仕事も最終的には後出しみたいなものなのだが、違いは商品を紹介する人が現実に居て、それで選べるというところ。商品の絶対量は変わらない以上、それを紹介する人で選ぶしかなく、この人間関係が金銭価値に還元できない世界を醸している。



具体例。


初めてのお客様にも犬っぽいと言われる。


最近賢いお客様に当たることが多い。


僕が言う賢さは、「メタ認知」がある人で、特に高学歴だとか、資格持ちだとかではない。知識層でもメタ認知が無い人は居る。この認知がある人の比率っておそらく学歴分布と比例していないと想像している。


でも、人の頭を評価する言葉って、どの言葉でも上から目線っぽくなる気がする。

賢い、地頭が良い、聡明、回転が速い、どれもそれを観測できている話者の方が上位なニュアンスなような。気のせいかもしれないが、僕の能力とは観測とは無関係に頭が良いと思った時、当てる言葉が無いような。


もういっそ「雅(みやび)」にするか。

お父様の頭は雅である、みたいな。


僕を犬っぽいと評したお客様、2人でドライブしている時に、「仕事が無茶苦茶できそうな営業マンがやって来たと思ったら、雰囲気が犬だった」と評してくれた。嬉しいというか、僕がメタ的に認知しているそういうもんだという自分と一致している。最近髪セットしているし、目がでかいもんで目力もあるし、何かやり手みたいに見えるだろうな。


ただ、話し方のテンポがまったりしているもんで、ギャップ萌えが産まれるのかもしれない(
(知らんけど)。


割と話しが通じるのだろうなと思ってくれたのだろうと読んでいるのだが、砕けた話し方を節々にしてくれる。この人なら敬語ペルソナなくても大丈夫だと思われたことに対して、懐いてくれたのか、見下されたかのいずれに解釈するのかは当人の認知による。僕の素朴は前者。


いや、見下されたような語りは同じく砕きでも空気感が全然違う。

尊重というか対等の関係になったら、敬語は無駄になるから結果的には一緒だが、中身が全然違う。


僕としても、このお客様話が通じるなと思ったのは、店舗の空気感まで見ているところ。もしかしたらHSP気質なのかもしれないと思いつつ、転職しようか悩んでいるみたいだから、我が店舗にやってきても通用する気はした。


言葉遣いが無茶苦茶丁寧。

言葉遣いの丁寧さの定義は、敬語がきちんと扱えるとかではなく、相手の事情を想像して先取りした言葉を使えること。気遣ってもらえるもんで、バックヤードに一瞬行って熱中症予防の水分補給をさせていただいた。


ちなみに僕が言うところの天才の定義は、自分以外の世界を気にせずに自分の世界に傾注できること。時代に合うかどうかは問わない。発展しないと天才では居られないと思う。


あとどうでも良い話だが、年齢を聞かれて一瞬ちゅうちょした。

実年齢言ってもびっくりされることが分かっているもんで。これを察して、言いたく無いなら言わなくても良いと言われたのだが、聞かれたことには応えるのがビジネス。案の定びっくりされる。


若く見られることに対しては何も思わないのだが、どうして見た目が若返っているのかは個人的に考察したいところ。割と老化になるよーみたいな習慣は日常的に行っているつもりなのだが、何故か経年劣化しない。


暫定的なところだと、経年を忘れるくらい実生活を楽しんで居るから。

スキンケアも同じ年代の人よりはやっていると思うけど、皮膚の若さを保ったところで「顔」の若さは保てない。


(満月さんに対して変な顔ばかりすることによって、表情筋が活発化している説はある)


その後、ヤンキー女子に「犬っぽく見えると言われたんですが、どう思いますか」と聞いたら、いや、犬ではないですという第一回答の後に、何か自己問答して、いやいや、犬っぽくあると再認識して、「優しいドーベルマン」という評価をいただいた。


見た目は仕事できそうだけど、中身がまったりしているという意味で言語化として近くて面白い。全然馬鹿にされていると思わない。


先輩女子が休みなもんで、ヤンキー女子の教育側になったもんでパソコンを並べて教えて居たら、スーパー事務の人が、「仲良しだな」とまったり眺めている。先輩女子とヤンキー女子の組み合わせではこういう光景にはならないらしい。別に先輩女子をディスっている訳ではないけれど、おそらくこの人は世界が一方通行なのだろうなという感じ。


たしかに、ヤンキー女子との相性は良い気がする。

相性というのは変な話では無くて、一緒の仕事空間に居て気楽であるという意味。ちゃんと仕事にやってきている人だし、若い女性なのに感情を仕事に持ち込んで来ない。


なかなか修羅場をくぐっている感じ。

この人とは、仕事の話でもメタで話せる。


教え終わったあと、「お疲れ様でした」と言ったら、スーパー事務が「やさお」と呟く。

この店舗じゃないとありえない空気感らしい。僕が空気になるのは辞めたからかどうかは知らない。


僕は自己評価として、「優しい男」では無いのだが、客観的にはそう見えるらしい。


優しいの定義が誰かに対して返って来ないのに施すだったら、僕はそういう寄付的な優しさはない。いや、あるのかもしれないけど、自己満足的な意味合いの優しさは無くなったような気がする。


満月さんは僕が優しくなくなったと言うのだが、満月さんの世界観の中の優しい人であることは辞めたかなという感じ。満月さんは僕と出逢ってから活動的になっているような。


メタ認知が無い人に対して慮る価値はないから、辛辣で良いのかなという次第。

辛辣は言い過ぎだけど、あんまり自分の劇場に登場する人ではないなと。


僕は今のところ友達が居なくて不自由がないだが、こういうお話ができる人と友達になれる世界線があったら面白いなと想う。


老若男女問わず。


はい、おやすみなさい。


何故か今日も長文。読んでくれた人はお疲れ様でした。


身体は結構疲れているもんで早く寝る。


良い夢を。



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