視点が増えれば人は確立されるのか

23:25から。

車を運転しているとき、信号が無い横断歩道を渡ろうと待っている人にタイミングが合うと気分が良い。善い事をしたではなくて反射神経と空気を読めたことがちょっと嬉しい。

運転するときに性格が変わるタイプではないもんで、ごぞごぞ他の運転者のマナー違反をぐちぐちは言わない。このぐちぐちタイプは安全寄りだから、問題無い。他に迷惑がかかるというよりも、自分の注意力がそこにかかっていることを怒っている。

安全寄りじゃない方は、僕の人生圏にはあんまりいなくて観測するだけなのだが、端から見ていてマジでヤバイ。なんでその隙間で車線変更をしようと思ったのかみたいな動きがヤバイ。おそらく当人は運転が上手いと自認してそうだが、絶対横には乗りたくないし、なんなら友達にもなれない。

ある視点において良かったとしても、他に対して悪い人は結局合わないことを学習した年輪。例えば、僕に優しくても店員に優しくない人はちょっと無理。これは安全圏の視点で言えば、僕に優しくなくなるかもしれないという解釈が起こるけど、そうじゃなくて、自分の世界において大事ではないことに対してもある程度気遣いができるかどうかという視界の広狭だと思われる。

倫理は特に気にしないけれど、どういう水準においても相手を蔑ろにして良いと思う人はアウト。この人が自分のことを想ってくれないから、自分が想わなくても良いという理由にはならない。

満月店長は、割とここのアンバランスが駄目っぽい。情が厚い家系なもんでしょうがない。
僕はこの辺り、実はシビアな気がする。先輩女子は早々に転職した方が良いと思っているし、一緒に過ごした時間で「情」が芽生える訳では無い。先輩女子が居なくなったところで、仕事量が増えるだけ。自分が楽になるために仕事している立場ではないし、僕が店長になったとして、それほど大事に駒とできる人材でも無いなと。

仕事をしに来ていない人にどれだけ仕事を説いてもあんまり意味はないし。
仕事の定義は、自分も移動するし相手も移動されること。

昨日書いたのは関係した時間の話。関係は発話でやりとりした時間とも言えるけれど、本当のところは「縁」だと思われる。縁があれば資本主義のものさしではなくなる。

やれやれ。

生活においても時間が押しているのはなんなんだ。
色々と試行錯誤するところは考えている。満月さんが協力するというのは繁忙期なもんで無理というか期待できない。できることはだいたいやってくれているから、文句は無い。

色々想起される問い合わせは無くもないのだが、そんなことは分かっていて物理的にできていないだろうから、あえて言語化して追い詰めるつもりもないし。

他者はコントールできないけれど、自分はコントールできるという世界観なもんで、お風呂読書1時間を20分に短縮して、料理時間ももっと時短して。

なんなら、日記時間は30分で3000文字くらい書けるようになれば良い。
今のところ無理なのだが、やろうと思ってやっていけば、できる可能性は無くも無い。

だってほぼ毎日日記を書く習慣は、周りの人にはこの頻度で書いている人は時系列でも無かったし、特に毎日書いている人が凄いとも思っていない。

時間が押しているということは、それを改善できるという事象として呈示されている説。
時短したところで他に楽しいことができなければ特に意味は無いし、ゆるゆる過ごす人生劇場は無さそう。

人と調律するということは、ある程度妥協するということ。

時間切れか。

仕事から帰ってきた時の洗い物が大変で全然料理から始められないもんで、寝る前の時間で洗わないといけないのだなと思って来た昨今。

朝動くということもできそうだけど、生活に全登場したら居場所が無くなる。
僕は相手の居場所を無くすような生活をしたくない。

とりあえず40分くらいで到達点の半分。
まだ先はあるもんでこうご期待。

はい、お休みなさい。

良い夢を。


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