費用対効果でない関係

22:29から。

満月さんが朝煮込んでくれた手羽とこんにゃくん。美味い。
これをつまつにいただく晴れ風も美味い。

満月さんが朝良く動いてくれてほんとありがたい。
僕の仕事が減ったから楽だという意味合いではないのだが、ニュアンスが難しい。

生活感。

完璧な生活は存在しない。完璧な文章が存在しないように。
ただ、幸せな生活、面白い文章はありうる。

さておき。

お仕事。

相変わらず事務作業全然触れないのだが、待っている人達をあるべき着地点に導いてきた模様。

髪をセットして前髪を立てるのはお守りとして効果がある模様。
やっと店長にも、「硯さん髪切った?」と気付かれた(髪切ったの水曜くらい)。整っているのは良いことだ、見た目だけだとこの店舗の店長は硯さんだろうとか。これはおべっかでもないし、僕もどこかの店長におりそうな風貌だとは思っている。

この歳になると風貌に相対的価値は見出さないから、使えるものは使おうかという感じ。

ちゃんとしていると、ちゃんとしたお客様がやってくる。
この、「ちゃんとした」は、ちゃんと社会と調律できる価値観がある人。

ここは賢さでも地位でもなく、相手の世界を慮れる人。
お仕事している人は、当たり前だけど休みもあるし、他に時間もある。もちろんそこを言い訳に仕事はしていないけど、僕がお客様側だったらそこを気にするというだけであって、世界観が合うというだけ。営業マンの時間を気にしてくれるお客様はほんとおかしい。物理的に時間が無いのはたしかなのだが、なんでそこを気にしてくれる人が増えてきたのだろう。

自分を守れる人生劇場になってきたのだろうか。

疲れた顔をしている訳でもない(本日ヤンキー新人に顔が疲れていますねと言われたが)し、別に時間が無い空気感を出している訳でもないのにお客様が気にしてくれる。

なんだこれ。

ちなみにだけど、この文章空間も時間が余っているから存在している訳でもない。
誰も労ってくれないけど、ここはあった方が楽しいからなるべくあった方が良いというだけ。

店長がありがとうは共感であると言ってたのだが、たしかにスキより世界観は一致している。

好かれるとモチベーションが上がって投稿数が増えるというメカニズムはちょっと分からない。そんな対価関係で書いている訳でもない。誰かが読んでいるから書く訳でもないのは、そんなモチベーションが要らないというのもあるし、この関係がよく分からないのは、僕の文章が、共感ベースではないところで読まれているのだろうなというだけ。

あと、どうでも良いというかどうでも良くない呼称問題。

お仕事のお話で、自分の環境を語るパートがある。別に話さなくても良いのだが、親近感の為に、自分がどういう環境で生きてきたかみたいな。気にしない人には話さないのだが、話せる人には話す。

満月さんの呼称は、もう妻でも嫁でも良い。入籍する前は同居人と言っていた。
一緒に過ごしている人を外から見える時にどう名付けているかというのはなかなか面白い話。

個人的には、外から観測した時になんの問題もない呼称は「パートナー」だと思う。
奥さんとか旦那さんとかは婚姻関係が前提だから面倒。僕はここは全然気にしないけど、気にする人は関係に対して言いよどむ。外から見て認証されるかどうかを気にするから。

いや、僕の文章を読んでいる人は現実にパートナーが居ないのが多そうなのだが、何故なのか。別にマウントを取っている訳でもなく、僕の文章を読めるような人は、現実で相手のことを慮れる人だからモテる気がするけどなーというだけ。

良い悪いではなく、人の一方的な発言を聞ける人しか読めない文章。
いや、そこまではないか。ちゃんと読めるようには書いている説。

昔の劇評が、かなりリズミカルで、自分文章上手いなと読んでしまう。
自画自賛ではない。僕の文章と僕の価値は別に連動していないもんで。

読みたいなら個別でなんかあれば、実際生きている名前という暗号を伝えればすぐ出てくる。なんなら実際の顔出しもしている(仕事関係で)。

別にここもどうでもいいのだが、いったい何がどうでも良くないのかが不明。

なんだこの閉じ方。

まぁ良いのか。

おやすみなさい。

良い夢を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?