ぬる

23:34から。

豆苗のみょーが何やらよく育っている。

最後まで書ける気がしない。
文章脳にあまり切り替わっていないもんで。

文章脳とは何ぞや。
僕の中の用語だから僕の解釈で良いのだが、おそらく誰かとの対話を予定しない言葉遣いになることだと思われる。最低限、通じるかどうかは気にするが、読解されることは気にしないみたいな。

でもこういうのは割と普通のことなのか。
自分の中の語彙を尽くしたら、相手に伝わって当然という認識は誰にでもある。

伝えたことは認識(記憶)しておいてもらって当たり前みたいな。

あれ、この下り書いた気がする。
色んな人と仕事で話してみて、人って相手の言語ではなく気持ちを読んでいるような。
この「気持ち」というのは、言語化された気持ちではなくて、印象みたいなところ。

そもそも人の記憶力って世界の全部を記録できるようにできていないし、印象が強いところだけのとぎれとぎれだし。

覚えて貰わないといけないことなら、うざくならないように何回も印象付けるしかない。

お仕事で使う道具としては、言葉よりも印象だろうなと。
もちろんお仕事場では伝えるべき情報がある。動かせない情報から動かしても良い情報まで。これは言語で伝達するものなのだが、相手が感得する情報は言語だけではない。

客観的な説明文がルビンの壷みたいな錯視に見えてきて、どうも困ってくる。
精確な文章にしようとするほど意図の方向性が無くなるから、誘導されられなくなる。

店長もそういう認識で、相手に伝わらなかったという報告は、当人が伝えきれてないという感じ。僕はあんまりごりごり営業できる人ではないのだが、情報を道具として折衝して誘導するためには、印象値が必要。

いや、たまたまハンターハンターの天空闘技場編を見ているからたまたま語彙が流れた。
印象って潜在価値でも可能性でもないから面白い。

言ったけど伝わなかったというのは、相手に伝わるように語用を変えたかどうかによる。
自分の語彙の中で駆使すれば伝わるという認識はちょっと変だが、まぁ視点の次元が1次だったらちょっと分かる。

もうちょっと細かく書きたかったが、本日はここまでか。

僕は一般論で言うところの自分が統合されるべきみたいな感覚がないもんで、語彙も一定ではない。もちろん多重人格ではないし、精神的に不安定でもなく、社会生活を送れている前提の話。

やべ、寝ないと。

おやすみなさい。

良い夢を。


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