笑いストック

22:15から。

人生劇場上溶かすべき蟠りを解消したからか、さらに楽しくなってきた。

蟠りというのは家族関係。母親と和解したというか、それほど畏れるべき存在でもないなという感じ。あとは、母親と姉と妹の橋渡しをすれば更に良くなるのかもしれない。

母親の性質は僕と随分近いし、姉と妹もそうだとすると、割と硯家は皆口下手で発話力不足なのかもしれない。母親からの姉と妹に対する言い分も、姉と妹からの母親に対する言い分も、どうもズレているような。お互いの誤解よりもっと前の領域で。

僕は家族も一種の縁だなと解釈するに至ったもんで、どうせならもうちょっと笑い合える関係になったら良いなというだけ。

僕が関わって満月一家に笑顔が増えたかどうかは知らないが、僕が素で居ると良く笑われているような気がする。笑われているのか、笑わせているのか。

お仕事の連絡は一報しか無かった。
今はあんまり重たいお仕事は無いからそんなもん。ちゃんと休みは休めるようになってきつつあって楽し。

夕方から出勤の満月さんと市役所とイオンモールに行く。

市役所に行ったのは、婚姻届を取りに行くため。
別にお祝いをしてもらいたい訳でもなく、単なる事実の報告として書くけれど、一応7月10日に届を出す予定。語呂合わせで納豆のようにねばねばと引き離されないようにあやかって。

祝いたい人は勝手に祝ってくれていいし、それはありがたがるのだが、結婚だから祝うのが当然みたいな感覚はお互い無い。式も挙げないし、母親にはやたらと言われる写真を撮る気もない。

生暖かい目で観測するのが平穏だと思う。

本屋さんは宅建六法がメインだったのだが、版数がやたらと少ないようで取り寄せに時間がかるとのこと。たしかに宅建の試験で原文に当たるという遠回りをする層はそんなに居ない。個人的なお好みの話。

あと、満月さん経由で知った鷲田清一さんという哲学者の本が面白そうだから、ちくま学芸文庫で2冊購入した。ファッションを哲学するって当時は罵倒されたみたいだが、ファッションって哲学の対象になって良いと思う。あと、聴く力というやつ。哲学って言語化なのに聴くことを対象とするとはなかなかのアウトロー。アウトローの人は好物なもんで、美味しく食べる。

いったん、さておき。

からくりサーカスのアニメを見ている。
この漫画、凄い面白い。戯曲論は全然知らないし分析したことはないけれど、構造的にそうなのだろうなと。

面白いからこそ分析するのだが、サーカスとゾナハ病はほとんど同じ関係にある。他者による目というか笑いがないと存在できなくなる。そうして、元凶のラスボスは神様的な主観で、その劇場に最後まで参加できないという。

あと、運命に対する解釈もあるけれど、ちょっと書ききれない。

もうちょっとメタ的なところでいうと、このからくりサーカスという漫画は読者の目がないと存在できないというのがフィナーレの登場人物が全員笑っている絵だと思うのだが、どうなのだろう。

そういう風に書かれているに違い無いではなく、僕にはそういう風に読めるようになったというだけであって、別にからくりサーカスが好きな人と、同じ物を好きであるという共有がしたい訳でもない。

そんなことを語るより、同じ物が好きな人がいま物事に対してどういう風に考えているかの方に興味がある。

やれやれ。

ファッションと聴く力の本は今の僕にちょうどが良い。
ファッションはまた今度。

聴く力の冒頭で、こういうことを言う人に対して貴方は何を返すかという5択があって、僕は精神医学者が返す答えを選んだ。相手の言い分をいったんオウム返しする。僕は自分の言い分をオウム返しされたら、ちゃんと僕の話聞いているかと思う質だが、自分の話を聞いて欲しいと思う層にはオウム返しによって相手が自分の話を聞いてくれていると認証されるらしい。

満月さんにはオウム返しばかりしているのだが、だいたい怒られる。
単なる言葉遊び。

ふと思ったこと。

資本主義のその先の社会学者さんの本を読んでいる。
学者さんだから、そんなに変にはずれたことは書いて居ないのだが如何せん言葉が難しい。かみ砕くまでにエネルギーが要る言葉も良き。

個人的には、資本主義の先には貨幣という媒介が無い世界がありそう。
もちろん、社会という枠において貨幣は必須だが、そうじゃない小さなコミュニティでは例えば言葉とお米を直接交換できるような関係が起こり得そうな。小さなといいつつ、ネットを介せば社会の垣根を越えたグローバル。

最後。

僕はnoteの有料記事を買う気が起こらない。
僕がフォローしている人がそういう風に展開するとなればちょっと考えるが、生身の人の編集も入っていないたかだか1万に至らない文字数にお金をかけるなら、岩波文庫とか講談社学芸文庫とかちくま文庫を買った方が有料と交換できると思うし。

なんというか、鮮度がある情報だから価値があるという意味で有料にしているのは分かるのだが、僕は特に鮮度がある情報に遅れることに恥ずかしさがないもんで。鮮度がある情報はファッション。今だけ価値があって、普遍性は特にない。

僕の文章も変に脇道に逸れずに情報に傾ければ有料化できる気はするのだが、そんなの面白くない。金銭価値は無いし、金銭価値が無いことに価値が在る。

この関係をお金でしか換算できないとすれば、関わる価値が無い。

言葉足らず過ぎて誤解されそうだが、言葉って誤解されてなんぼ。

おやすみなさい。

良い夢を。


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