じゅんかん

22:59から。

ほんとはもっと早くからの予定だったが、家に帰ってからの残務(洗い物)が多すぎた。
別に満月さんを責めている訳でも無く、もっと朝から減らしておかないと間に合わないのだろうなと。満月さんもやる時間がないのは知っている。

朝の一服漫画時間を回せば、もっと洗い物が回る。
僕は相手ができないことを強いるような感覚はねぇもんで。できるのにやらないのはちょっとアレだが。

ここの考察だと、とても酷いことを言う。
「気分」はできることをしないことの理由になるのか。

個人的には「気分」って行動側に使うものであって、動かない理由にはならないと思われる。
日常でやらないと回らないことは気分で云々では無いような。風邪とか引いて体が物理的に動かないなら仕方ないし、そこにはなんとも思わない。

別に満月さんだけを対象にしている訳でもない。
結婚するにあたって思っていることは、この人のお母さんになるのもお父さんになるのも関係上違うよなということ。もちろん、満月さん側からも。

そろそろエディプスコンプレックスも今や昔の感覚で良いんでない、みたいな。

僕はもう伴侶をこれ以上探す気も無い。

あと、読書時間が2日分だから長くなったのはある。
やはり、活字は楽しい。

さておき。

お仕事。

忙しさが終わらない。
ここで思ったのは、時間が無いと感じている瞬間ってまだ余裕があるのだろうなということ。ほんとに時間無い時なら、時間のことを考えない。そんなに極限状況はあんまりないけれど、ちょっと汚い例えば、下痢でギリギリのときにトイレを探しているときに時間が無いとはならず、何をおいてもトイレに向かうべきとなっている感じ。

お仕事に関してはちょっとずつ進捗している。
あんまり競争はどうでも良いのだが、もうちょっと上に行ける兆しはある。

無意識的にやっていたことが可視化されると検証できるようになる。
検証できるって、自分の従来の方法論からは無いことを行動で試せるということ。

今日のお客様にもやってみたのだが、別に相手を傷つける訳でも無いし、強制している訳でもないし、ちょっと人格を揺さぶるような波紋なだけ。

これを無自覚でやっていた頃は人間関係が大変だったもんでもうプライベートではやらない。いや、むしろこれからはもっとやるのか。

やれやれ。

ほんとは、ここから先に人の話は半分で聞くものなのだなぁという話を書きたかった。

人は記憶装置としては有能だけど、記録装置としては有能ではない。
どれだけ記憶力があったとしても、記録には至らないから、写真とか動画とか、外部媒体に委ねることになった。

バツイチの従弟がまた結婚して、式は挙げなかったけど写真は撮った、写真を撮ると実感がわくというのも、記憶ではなく記録に委ねることなのだろうなとか。

記憶はどれだけ磨いても記録には至らない。

ほんと簡略版。

最後。

満月さんの推しが、僕とお話してみたいとのこと。
望むところ。僕はINFJあるあるみたいな話をするつもりはないけれど、気持ちは分かる。僕が今までの恋愛経験の中で、結婚に至らなかったのは、社会的にゴールとされているそれに対して素朴な疑問があったから。

よし、ここまで。

もうちょっと残務が無くなれば書く時間が増える気もするが、別に増えなくても生きられるから、あんまり気にしてない。

文字数が少ないと読み物として成り立っていないのではないという気分になり、洗濯物を干し忘れたくらいのすまんやでとなっているのだが、このすまんやでって誰に対しても申し訳ないと思うものでもない。

おやすみなさい。

良い夢を。


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