主観

23:08から。

書き始めでクライマックス。
もはや眠い。この時間しか居ない。

本日はちょっとお仕事。皆すげーなぁ。
尊敬という味が出てくるのも余裕があるから。

僕はというとお仕事の市場に上がれない人を舞台に上げようとあくせくして、成果に全然繋がっていない。なんというか、別にこれで良い気はする。

類人猿診断で言うところの、チンパンジーとボノボ系の人は普通に市場の人達なのだが、調子が良くないと調子を合わせられないという分析。話していることが破天荒ではないから食指がそそらないというか。もちろん、単なる好き嫌いの話だから、仕事上扱いを変える訳でもない。

いや、扱いは変えないといけないんだわ。
僕はパリピだけど自己の世界を語って認証されるパリピではなく、日常がパーティーなおパリピオラウータン。

でも、一定の層には僕の言葉は響く模様。誰が言ったかで言葉(情報)の価値を決める人とは相性がきっと悪い。いやそうでもないのか。どうなのだろう。

という感じで、帰ってから漫画を読んでいた。

「ブルーピリオド」という絵画の漫画、とても好き。
芸術は食べられない食べ物であるという表現が馴染む。

もちろん、絵画はやったことないし食べ物にまで至っていない領域だけど、これを食べ物にしている層が存在しているから技法なり表現方法が発達している訳で、人間の深み。

これで言えば、言葉だって同じことよなって。
食べられない食べ物という無限の食糧だから、良し悪しとか美味い不味い問わず、いくらでも入ってくる。

食べ物である以上、影響が全くない言葉なぞない。

思った以上に食べられるのが人間だし、垂れ流されるだけの食べ物を自動的に摂取していたら常にお腹がいっぱいになる。

だから僕はコンテンツを断捨離した。旅行に行った時とか、テレビで流れるCMでお腹がいっぱいになる。新鮮だから見入るけど、新鮮だから食べるだけであって、毎日は食べられない。

これで世間の話題に着いていけないことに不自由があるかというと、全くない。
ちょっとブラックな話だが、今ちょっとにぎわっている揺れ問題も、全然どうでも良い。こんなの程度問題であって、天災で安否を気にしたところで、人は何気ない事故で退場することもあるから、心配しようと思えば尽きることがない。本当に心配だったら、物理的に近いところに居るしかないということになる。ならない?

僕の心は退場者にも配られているし、いちいち台風とかなんとかで安否連絡するんだったら、もっと日常的に関係作っておけば? と思っちゃう。

有事の時しか存在が浮き上がらない人って、親しい人なのか?

心配は気遣いであるというのも分かった上で書いている。
僕は上澄みの存在確認より、もっとナカを気にしてくれる方が楽しいなと思うだけ。

満月さんが多少帰宅を遅くしたところで何も思わないのは、薄情なのだろうか。
良いオトナに早く帰れもおかしい。炭水化物成分が必要だろうなと自家製つけめんを作っておくだけ。

(あいかわらず食べた食器はシンクに持って行かない)

ここからは、人を断捨離するのではなく、相手の認識を断捨離するようになるのかも。
最初にやるべきは、母親の僕が「てきとーにしか家のことを考えていない」という認識。あんまりあえてやりたくもないことだけど。

僕が何も考えていないと外界に見られるように振る舞い過ぎるのは、ちょっとちゃんと生き延びてきた自己に対して失礼なのかもなと思ってきた。

別に何ができるとかできないとか人にどう評価されるかとかはどうでも良く、もっと自分で居て良いよなというだけ。

はい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。


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