ファンサ

22:33から。

キャラの模様替え。

朝。

人生初ボーナスが入っていた。給料と同じタイミングだから、使い切れない小金持ち。
嬉しいというか、世界線がズレて来たなという感覚。たぶん変な遣い方をしないからもう大丈夫だろうなという解釈。

だって、別に散財するつもりはないし、どれだけお金をかけた昼食よりおにぎりの方が良い。浸水するのを失念しているもんで、朝に用意ができなくなっていた。なんなら僕が昼ご飯担当を担っても良いのだが、どうなんだろうな。余力としては早めに起きて朝ごはん担当にもなれるし。ここまでやって良いのか。

ローソンで小さめのお弁当を買ってお昼を食べたのだが、具体的な愛が無いもんで満腹にならない。別に満腹を求めて食べては居ないのだが。

昨日焼肉を食べて満腹になったから、お風呂読書が省略された。
シャワーを浴びただけ。これについて満月さんは合理的な因果として読み取れないと疑義を評す。満腹でも本は読めるよって。

僕は満腹になるとそれ以上吸収できないという意味で本が読めなくなる。なんなら文章も。
もともと満腹が自分にとって求めるべき状態だったのかと言うと、そうでも無かった。食欲で食べている訳ではない。胃腸が弱いから最初から老成気味だったという説もある。

満腹はしんどいんですわ。

愛があれば少量でも良いというは、ここでいう愛とは相手にちゃんと美味しく食べられる為の試行錯誤という客観であって、自分の得意料理だったら誰でも美味しく食べるべきみたいなスタンスは愛が無い。

ここの愛は、世界線を調律しようとする行為。
相手の誕生日を覚えているみたいな知識の話ではない。知識とか言葉はまぁまぁ繕えるし。

お仕事。

店長から、硯のキャラが変わってきていると言われる。
お店のグループLINEで店長が渾身のボケをしてきたのに被せて前振りみたいにする所業。
店長の器が広いのは、この流れが無茶苦茶面白かったと言うところ。

個人的にはキャラが変わっているのではなく、地を出せるようになって来たというだけ。
やっとここまで世界が楽しくなってきた。

たまたま近隣店舗でお客様と接する機会があって、そこの店長がもうこのお客様、硯ファンじゃんって評す。

多少のミスをお互い様にしてくれるのが、店員とお客様から人と人の関係になっていること。お仕事側としては時間とかルール厳守ともっと上が言ってくるもんで調整できる領域はあんまりないけれど、これが信頼の領域だと思われる。

ファンの話はもっとズレてくる。
ここまで来ると一般的な距離感では無い。だからと言って利用する気も無い。おそらく良い感じに移動できた人が僕の功績としているだけ。ちゃんと移動できたことに関われたという意味では嬉しいけれど、僕のファンになっているということはあまりなんとも思わない。

ファンサービスできるお仕事でも無いし、越境も無い。
でも、逆にこの境界が良いのかも。

という話を満月さんに言ったら、「私が硯の第一ファンでしょ」と言われる。
ファンの定義よ。

僕の文章にファンが居るのも意味が分からないし、具体的にやり取りしたことがないから全貌が不明。いや、ファンという劇場はそういうものなのか。

いや、そんなにファンは居ないのは確かだと思っている。
僕は読まれるだけの人ではないし、読んでいる人は個人として捉えているから、ほんとは逢ってみたい。

この辺りが越境であって、あんまり発現してはいけないところ。

やれやれ。

ちょっと面白いINFJあるある。

僕は満月さんが自分でできることを僕にやらせようとされるのにとても抵抗感がある。
道具として利用されるのは嫌という性質。僕が居なかったら自分でやることを僕にやらすのは違うよねって。ここに僕が居ることは満月さんの省エネ劇場でしかない。

で、満月さんができないことを頼まれることには特に抵抗が無い。
ここにはちゃんと僕が劇場に登場している。

この違いって通じるところなのかね。

僕は前者の方だと、無茶苦茶精神が反応する。
だったら、僕も動かない世界観になるぞって。自分が動いているのに相手が動かないという世界ではない。僕が動くことと、相手が動いてくれることは全然因果関係がない。

明日の準備があるのでここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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