「何某宛佐久間信盛等連署状」に関する推測ー受給者は誰か?

昨日承本望候、仍安土へ遣候使者、昨夕罷帰候、今度貴所被入御精、松永一類歴々衆討捕候事、御忠節無比類候之間、其旨御懇従我等可申由、被仰出候、随而松永跡幷与力事、未何方へも不被仰付候、知行之儀は、大形被遂御糺明、今度忠節人ニ可被下之由、被仰出候、来月相々必被成御上洛、其刻知行分従是可被仰出由候、可有其御心得候、貴所安土へ御見廻事、先被相延、於京都御礼尤候、相替儀候者、重而可申承候、恐々謹言、
   十月廿一日          信盛(花押)
                  信栄(花押)

 上記の史料は『増訂織田信長文書の研究』所収の佐久間信盛・信栄が発給した書状(「織田長繁氏所蔵文書」)であるが、「松永一類歴々衆討捕候事」という文言より松永久秀・久通父子が滅亡した天正五年の書状であると判明する。しかし、宛所が切断されているため、誰に発給されたのかは判明しない。

 確定的な情報が無いため、あくまで「推測」に過ぎないものの、私はこの書状が「筒井順慶」に発給されたものではないかと考えてみたい。理由としては下記の三点を挙げる。

①「貴所」「恐々謹言」という文言が使用されており、この書状が貴人に対して発給されたものと推測できる。

②「今度貴所被入御精、松永一類歴々衆討捕候事、御忠節無比類候之間(貴方が松永久秀の一党を討ち取るために注力したことは、比類なき忠節である)」という文言より、この書状が発給された人物が松永久秀・久通父子の討伐に貢献した人物であると推測できる。筒井順慶は、明智光秀や細川藤孝とともに森氏や海老名氏が籠る片岡城を攻撃している。

九月廿九日戌刻西に當而希有之客星出来候也 松永一味之御敵
 片岡之城ニ 森ノゑひな 楯籠候
 永岡兵部太輔 維任日向守 筒井順慶
 山城衆
十月朔日 片岡之城取懸被攻候(池田家本『信長記』第十)

③本書状では、「松永跡幷与力事」「知行之儀」について、「大方調査が終了したので忠節人に与えられるであろう」と述べられており、大和国における松永久秀・久通父子の遺領や与力が誰に対して与えられるのかが焦点となっている。

 さて、この書状が佐久間信盛・信栄父子から筒井順慶に宛てた書状であると考えると、この書状の意図は何であったのか。それは、筒井順慶が佐久間信盛に付与された与力であったことに由来する。

多聞家京都へ上候付、為上使村井差越候、参着次第村井かたより可申越候間、其構事無越度之様、人数等丈夫被申付、自身至南都被罷越、大工・人夫等之儀、別而馳走専一候、佐久間父子かたへも具ニ申遣候、相談候て南都へ可被越候、くれ〳〵要害留守事、無越度之様堅可申付専一候、不可有由断候也、謹言、
   六月廿九日         (黒印)
     筒井順慶
(「岡本文書」『増訂織田信長文書の研究』648)
去十五日、至泉州久米田着陣候由、可然候、佐久間相談、弥無油断動専一候、珎事□□、追々可注進候也、
   八月十七日          (黒印)
     筒井順慶□
(「島田文書」『増訂織田信長文書の研究』732)

 「岡本文書」は天正四年六月二十九日、「島田文書」は天正五年八月十七日に筒井順慶に発給された織田信長書状である。いずれも「佐久間と相談するように」と順慶に対して述べており、織田権力側に立つ佐久間信盛が与力である筒井順慶を指導する立場にあったことを示す。

 それでは、本稿で焦点となっている「何某宛佐久間信盛等連署状」では織田信長、佐久間信盛・信栄、受給者(本稿では筒井順慶と推定)の三者間の関係がどうなっているかというと、

①佐久間信盛が「安土へ遣候使者」によって織田信長に対して本書状の受給者(本稿では筒井順慶として推定)の活躍を報告する。

②織田信長の意向を「其旨御懇従我等可申由、被仰出候」と述べられている通り佐久間信盛から受給者へと伝える。

 と、上記のような関係になっていることが分かる。これは「岡本文書」「島田文書」で信長が伝達している指導者としての佐久間信盛・信栄、指導を受ける側としての筒井順慶と同じような関係になっていると思われる。

 つまり、「何某宛佐久間信盛等連署状」の発給の意図とは、「指導者としての佐久間信盛・信栄父子が織田信長の意向を伝えて、受給者に対して適切な対応を指導すること」であったと考えられるのではないか。そして、本書状の内容から受給者は筒井順慶であると推測することができないか…

 と、ここまで長々と述べてきたが、明確な史料が無いので結論としてはやはり受給者については「不明」であるとせざるを得ないというのが正直な話ではある。なかなか難しいものですな。

【参考文献】

・奥野高廣『増訂織田信長文書の研究』(吉川弘文館、1988年)

・金松誠『シリーズ・実像に迫る19 筒井順慶』(戎光祥出版、2019年)

・和田裕弘『織田信長の家臣団-派閥と人間関係』(中央公論新社、2017年)


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