また会えますか、イルマさん

・日本人の苗字ランキング27,150位 「入間」

・韓国語で志を果たすことを意味する「yiruma」

・ドイツ語で全て、を意味する 「irma」

・フィンランド語で空気、を意味する 「ilma」

以上はすべて「イルマ」、と読むことができる単語です。他にも「入間詞(いるまことば)」、というと語順を逆にしたり敢えて逆の意味の言葉を置いたりする言葉遊びの意味になったりするらしい。

そしてここに一人、「イルマ」という名前で呼ばれる人物がいます。

彼はケモノの世界の案内人「イルマさん」。小林賢太郎が脚本・演出を行った演劇作品「ノケモノノケモノ」にて自らが扮した摩訶不思議なキャラクターです。

以下あらすじ。

マムシの金勘定

この演劇はとあるサラリーマン「ハラミヤ」を主視点として展開が進んでいきます。ハラミヤは、他人よりも優れていると思われたいのに他人と違うのは嫌だという矛盾に悩む人物です。

一方で、特殊な生い立ちを持つイルマさんは、すべての生き物が持つ、生涯の出来事が載っている「自分の設計図」を持たない人物です。すべての設計図が収められている図書館にて、ニンゲンの本棚70億冊の中から「自分と出会う」と書かれたハラミヤの本を見つけたイルマさんは、ハラミヤをケモノの世界へと誘い出すのでした。

朝帰りのヘラジカ

この二人のノケモノは、演劇の中でハラミヤが「他人やモノで自分を測るのではなく、自分が何を好きで何をしたいのかで考えるんだ」という結論を出したのに対して、イルマさんに何か新たな発見があったわけではなく、ただハラミヤとの再会を誓って別れる、というアンバランスな結末を迎えます。

もちろんハラミヤが主役、イルマさんを一狂言回しとしてみた時、特別イルマさんに肩入れする必要はないでしょう。そもそもイルマさんは人間でありながらケモノの世界で一人過ごし、70億冊の設計図を読みきるようなイレギュラーな人物です。一見すると感情移入しにくいかもしれません。

しかしながら、イルマさんのアイデンティティを「自分はどこか人と違うのかもしれない」という恐怖に見立てた時、この感覚は一方でだれしもが持ちかねない身近な存在になるのではないでしょうか。

こめかみにロバ

小林賢太郎は自身の創作の多くを「非日常の中の日常」と語っています。ケモノの世界の住人が使う「ハナモゲラ語」や意味不明な慣用句で会話するイルマさんの姿は、まさに非日常の中の日常といえるでしょう。

一方で、このイルマさんが抱える孤独は「日常の中の非日常」なのではないかと思うのです。いくらイレギュラーといっても彼も人間です。言葉を話し、食べ、遊び、皆と同様に日々を過ごすことに変わりはありません。(イルマさんにもそのくらいの安寧はあってほしい。)(と思うのはこちら側の日常に住む私のエゴ。)

しかしそんな日常の片隅で、どうしてもチクッと違和感が突き刺さる。自分のルーツ、思考、将来。どこか決定的にこの世界とそりが合わないのではないかという恐怖と隣り合わせに生きる日々に鬱々としてきます。

ラクダのすす払い

ハラミヤのように、不器用で器用な生き方をする人間がいる一方で、イルマさんのように、器用で不器用な生き方をする人間もいます。

そんなイルマさんに注目すると、演劇の結末は少し物足りないとも言えます。

イルマさんは設計図を読んで何年も前からハラミヤとの出会いを知り、演劇の最後に聞かれた「また会えるか」という問いの答えも知っていたと思われます。しかし、彼はハラミヤにより不完全と分かった本を閉じ、胸を手に当てて「はい」と答えました。

これはイルマさんが常々言っていた「すべてはあなた次第」という言葉を自身も信じてみる気になった、という心境の変化の変化を表しています。

言ってしまえば、その程度の変化です。

カンガルーが西向けば尾は東

私たちは演劇の台本に書かれている以上のイルマさんと出会うことはできません。台本に書かれた「ハラミヤと出会う」-「ハラミヤと別れる」の間の数十ページの記述でしかキャラクターが漸近されないのは悲しいことです。

私たち人間は、大前提として生をもち、徐々にその表面を特徴や個性で彩っていきます。反対に、創作上の人物は大半が特徴をもとに定義され、後に人格を獲得します。すなわち、どうしても私たちとキャラクターでは存在を確立する順番が逆ということです。

場面が転換するたびにキャラクターたちは無に帰したり、呼び出されたりしているのでしょうか。

きっとそんなことはなくて、手持ち無沙汰で出番を待っているのかもしれない。だとしたら、私たちはその中割りを書いてあげることだってできるはずです。

そうすることで、私たちが愛した彼らはようやく日常に帰っていくのかもしれない。

狐の嫁入り

ケモノの世界に暮らし、白いスーツを着、白いハットを被り、大きな本を抱えているイルマさん。もともと人間世界にいたはずの彼は、ケモノ世界にたどりついて「イルマさん」になるまでに、自分で自分のことをイルマ、という名前で呼ぼうと決めた日があったはずです。

そして、70億冊の設計図の中から自分の名前を見つけ、心の拠り所にして、最期にはそれも閉じてハラミヤとの再会を誓った。次の日からはミニカーを持って、また獣ヶ淵バス停に座っているのでしょう。

あなたは、自分のハンドルネームを決めた日のことを覚えていますか。

それでは、また。



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