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12/29 どれが

こんばんは。(こんにちは)開いてくれてありがとう。
年末だ!今日、明日、明後日で今年が終わるらしい。
この日記は途中まで読むと5~10分程過ごせるらしい。

最後まで読むと、今日は長いらしい。

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これに関してはすこしだけ後述しているので、とりあえず進めておきましょう。


いつもどおりここまでの私は16時半の私、
これ以降の私は14時とかの私です。
過去の私に託した。では。




今日の朝ごはんは茄子の残りを食べました。

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うまい!

朝ごはん食べてから「昼の準備もしておくか」と思い立って、キャベツをスライサーで千切りにし、スパゲティを茹でておき(あとでカレーと一緒にあたためるだけにしたかった)、その間に食器を洗い…などして、そもそも私は「事前にやっておく」みたいなことを普段は全然しないので充足感が違ったな。

多分この……特に「パスタ茹でておく」に関してはファインプレーな気がする。「パスタ茹でるのがめんどくて飯を食わない」になりかねない。

めんどい、という気持ちは私にとってかなりネックで、めんどいだけならいいんだけど、そっから「めんどいからしない」になり、そして一番厄介なのは「自分が『やってない』理由は『面倒臭がっているから』」という自覚が一切ないところだなと思う。

「私これできないな…」から「あ、私これを面倒臭がっているからやっていないんだな」への変化さえあれば、問題は「やることできない」ところではなくて「面倒臭がる」ところだと自覚できるので、そこを対処できる。そうするとある程度うまくいく気がする。私の場合は……

とりあえず、今日はもうパスタを茹でた。あとはカレーと一緒に温めるのみ。カレーを温めるだけならあまりハードルが高くないから良い。


さっ今日はなんともうマシュマロを見てしまう。
ここから送れます。今日を含めてあと3日間は開いております。

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バレてら。


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そうなんだよ。「まゆげ」と名付けた。


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そう!真ん中で真っ二つにしても結構わかって可愛いからお気に入りだった。
マスキングテープ、なんやかんや使い勝手が良いので結構臆さずガンガン使ってしまう。


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すごく嬉しくなった。よかった。


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こんにちは。どうぞ好きに読んでください……
Palnart Poc好きだ!うちには白いオオカミのネックレスとくじらの指輪だけある。つけたことはない。かわいくて置いている。

コスモナウト…と銀の縫い目、ググッた。宇宙とか星とかが好きなんだろうか。良いな。人がつけているのも見てみたい。なんせ外出ないし人と会わんから……見る機会が……

すくすく元気にやらせてもらおう。


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好きでいてくれてありがとう……
どうぞ好きに使ってください。ツイッターなどにあげてくれるなら「食性友」を入れてくれると、私がたまに検索をかけて…こっそり見る。

あ!そうだ!

こういうの出した。ステッカーと缶バッチ。

アクキーはこっち。

私はほとんどグッズ…みたいなものを買わないので自分では持ってないが、絵を描くのは楽しかった。



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そろそろ食べようかと思ってたからすごい丁度良い。ケチャップで炒めるんだ!なるほど、やってみる。ありがとう。
私においしい食べ方を教えてくれたあなたも良いお年を迎えられたらいいと思った。


いま作ったんだけど

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いや、正直私は自分でこうやってオリジナルで考えて調べずに作ったものがおいしかったためしはほぼないんですがマジでうまくてビビリ散らかしてしまった。でもなんでうまかったのか、料理の経験が浅すぎてわからない。おいしかったけどもう二度と作れないかもしれない。何が良かったんだ!?
でもケチャップの麺はマジでうまかったからそれは確実だと思う。ありがとう。

マジでなんでうまかったんだろう。これで今日は漫画描くわ。


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結局3時半まで起きてた~。


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嬉しいうえにありがたい。ありがとう…
誤字…脱字が…無いようにしているけど…絶対どこかにある気がする。あったらそっと教えてほしい。
言葉選びとかではないかもしれない、これは。


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コストコの無限にタマネギかけるあのホットドックが、うますぎるんよ。
(コストコ短歌)


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そうだ!!!!!


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おはようござ。
なにっ……見送った。


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すきでいてくれてありがとう……
また機会があったらやりましょう。感謝…



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はじめまして。たのしく読んでくれてありがとう……腰ヤバきちいな。治ると良いな。
ケーキはすごく良かった。ケーキを食べよう。メリークリスマス。


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私は絵や漫画を描くのが好きなので、絵を描く族の存在を確認すると「同じだ…」と思って、多分嬉しくなっている。あーでもわからない…「同じだ…」と思っているだけかも。

私が他の絵を描く族と割と関わりがあるのはメイン行動範囲がインターネットだからであり、これがこう、出勤するタイプのお仕事をしていたらまた全然……違うのだろうなと思う。というか、一時期していたときは絵を描く族なんてほとんどいなかった気がする。
いや……いたのか?表に出していないだけかもしれない。



また話がズレている。
絵描く以外のこと、どういう感情でしているだろう……真剣に考えたことなかったかもしれない。なので真剣に考えた。
真剣に考えたので、すごく長い。
眠い人は、もうこの記事はこのマシュマロで終わりだから寝ると良いと思う。
その人のためにここでも言っとくが、また明日。



まず、私はこういう長いひとつの文章をまとめるのが苦手なので、結論だけ先に言っておく、みたいなことが全然できない。
だから、以下の文章に関しては、関係ないように聞こえる話がたくさん出てくるから飽きるけど、少しずつ読んでいくくらいしか方法がないかもしれない。

つまり、読む人によっては起こり得る、最後まで長い文章を読んだのに「それ当たり前の考えだと思ってた…」とか、「全然見当違いのことを言っている…」という「ガッカリ」に途中で気付きづらい感じの文章になっていると思う。

なので、あまりおすすめは出来ないかもしれないけど書くぞ。



まず私は生きているんですが(そうですね)、生きる上で必要なものが大きく2つの範囲に分かれていて、ひとつは『生命活動を継続するために不可欠なものら』、もうひとつは『ひとつめを満たした上で、かつメイン目的として必要なもの』かもな、と思った。

ひとつめは、もう睡眠とか食事とか、寒さや暑さで体が壊れない場所とか、そういうもう物理的に…必要なものら、という感じ。

そしてふたつめが、私にとっては絵とか漫画を描くことかも?と思っている感じです。

生きる(生命活動を続ける方)ために必要なものを満たし、その上でじゃあ他に何をしたいかと考えたときに、私はもうとにもかくにも絵と漫画を描くのが好きなので、とりあえず『絵、描いといたら悪いことはあんま起こらんし、大体良い感じになるからこれやっときゃ問題無いでしょう』という感じに収まっている気がする。

じゃあ、生きている私の行動から、『生命活動を続けるために必要なこと(寝る、食べる、あたたかくするなど)』と、『絵を描くこと』を抜いたときに残るものって、必ずこのどっちかに直結する事象なのか?

他のことって全て『生命活動を続けるか絵を描くためにしていること』なのか?と言われると、それは半分そのとおりだけど半分違うかも、と思った。

私は基本的にはまあ、悲しいことやつらいこと、「こうならなければ良いのに」と思っていることは私の身に起こらなければ良い……とフンワリ思ってはいるけれど、未来はなんと誰にもわからず……そして世界はランダム性が強いと思っている。
いつでも突然(私にとっては)予想しないことが起こるし、それを意識して全て避けることはできないなとも思っている。

ざっくり言うと、マジで色んなことがワケわからんタイミングで起こっている。その起こっている色んなことのどれを強く感じるか、みたいなのは人によるのかもしれないな、みたいなことをぼんやり考えている。


これ、ちょっとソースを探したんだけど見つからなかった……んですが、過去に確か「SEKAI NO OWARI」のインタビュー記事を読んだ際、確かSaoriさんが、
「Fukaseが、皆で話している部屋の中なのに静かに聞こえる秒針の音に耳を傾けていて、その場にいる誰も気付いていない音が聞こえる人なんだと思った」
みたいなことを……確か……言っていた気がする……(幻かもしれん)

んだけど、(これ幻だったら私はセカオワの高解像度妄想をする人ということになる。もしかしたらそうかも)
そして私はこれを読んで『秒針の音に気付くのってなんかイイな』と思ったんですが、
じゃあこの『秒針の音に気付く力』みたいなものってどうやって手に入るんだろう、と考えたときに、遺伝的な当人の特徴が少しと、あとは世界のランダム性によって選出されて偶然その人の周囲で起こった事象によるものではないか、と思った。

なんかむか~しにちょっとだけ齧ったのだけど、遺伝4割・環境6割、みたいな言葉を覚えている。人の発達とかの話だった気がする。私が齧ったときの話だから、今は変わっているかも。(知らないのだ…)

偉い人がそう言ってるんだからそうなのかもなあ、まあでも違うかもなあ、くらいのフンワリ…した感じの認識でいるけども、環境の方が大きいというのは、私にとって少し大きめの「確かにそうかも」を孕んでいる気がする。

例えば、他よりも背が低く生まれた人がいたとして、そしてその人が子どもの時、誰もいない…人とも関わらない…なんというか、架空の『環境が限りなく無い場所』にいたとして(そんなものは無いから、マジで架空のということになる。メアリーの部屋の、『無いもの』が色だけじゃないverというか)

その子に身についている、あるいはこれから身につく遺伝的な要因のものって何だろう?と考えたとき、「あ、例えば背伸びをよくするようになる?」とまず思って、でも「背が低い子が背伸びをよくするようになるのって、そもそも『平均的な身長を元に作られた家具が多いから』とかの理由があって、それって「環境」かも?ということになるから、違うかも?となり。

ただ普遍的なものとして地球には重力があるから、(それを「環境」とするのかどうか…みたいな議論は一旦置いておくけども)身体が小さい…それも極端に、本当に小さかったら、重力や…引力や…そういうものによって例えば…鼓動の大きさが変わるとか?

確か生き物って小さい方がドキドキの速さが変わるみたいなの聞いたことあるし、そういうやつが「遺伝的なもの」に該当するのか?と考えたり…でも私にはそのくらいしか出てこなかったり…

遺伝的な要因のものは私にとって探すのが難しいけど、環境要因のものならもう少し浮かぶかも?と思って考えると、さっきの『背伸びをする』だとか、『小柄だからたくさん食べるように言われて、ご飯を食べるのが好きになったり逆に苦手になったりする』とか、コンプレックスに感じるとか、強みに思うとか、色々出てきたりする。

なので、なんとなく「環境要因の方が大きいのかなあ」くらいの認識でいる。

話は戻るが、私がそういう考えの感じなので(事実がどうかはしらないよ)、さっき言っていた『秒針の音に気付く力』みたいなものも、やっぱり環境由来なのではないかなあ、と思っている。

例えば、まず家に時計があって、それがカチコチなるタイプのもので、過去に『秒針の方が気になるくらいの、当人にとってはあまり興味がない会話』をよく耳にしていたとか(全部予想だから本当は違うのかも)、そういう環境に居たから「秒針の音に気付く」みたいな結果に繋がったのかと思う。

そしてその力があるということに気付いた人が周囲に、しかも同じ部屋にいた、というのも含め、環境……と思う。

ただ、じゃあFukaseさんって、素敵な音楽を作るために「秒針の音に気付く力」を望んで手に入れたのか…というと、そうでもない…のでは、と思う。

なぜかというと、その力が生まれたのは周囲にある環境が起こしたランダム性が原因で、しかもその力を使うかどうかの判断は本人、あるいはやっぱり周囲の環境に委ねられる…かも。と思っているからです。

何かの力が生まれたりついたりしたとして、それを自覚する、使う、意図してしまっておく、意図せずしまっておかれる、自分以外が気付く、誰も気付かない、など色んなパターンがあると思う。

そもそも、『自分はこういう環境にあったから、こういう特徴が備わった』という自覚も、あったりなかったりする。

私の話をすると、絵を描くのが好きなのは「楽しく人と話す」があまり得意でなかったから、一人でする遊びを探していた、みたいなのはあると思う。ただ、他にも理由は山ほどあるとも思う。気付いているものと気付いていないものがある。

「気付いていない」ってなんだか悪いようにも聞こえるけども、気付いていない人にしかできないこととかも全然あると思う。

その結果何が生まれるか、どう評価されるか……されやすいか……みたいなものは一旦置いておくけども、様々なランダム性により構築された人間の精神や成長の構造みたいなものはマジのマジで複雑で、何をするにしてもちょっとしたランダム性によって変わったり、逆に強固になったりもするし。

「~してない」みたいなものは言い換えたら「~しないをする」ということになり、当人の選択(あるいは意思関係なくそっちに進んじゃった場合もある)であることに変わりはなくて、それらは大体環境、すなわちその人が生きてきた間に起こったことや、それにより感じたり感じなかったことが関わっている…気がする。

この「環境により感じたり感じなかったりしたこと」というのが、私の場合は自分が描く絵や漫画に繋がれば良いな、と思っている。

『絵を描くためにするぞ』という意思は、多分「気付いている側」の思考かなと思う。
例えば…資料集読むとか、「あ!好きそうなキャラクターがいるからファンアート描きたいしこのゲームしてみよう」とか、『絵を描くために必要だしやってみたい』というのに私が気付いている状態だと思う。

ただ他のこと、例えば今こうやって文字を打っている。この文字打つやつが最終的に私の絵や漫画に影響を及ぼすかなどは全くわからない。
その上、「影響を及ぼしたらいいな」「こうやって文字打つことで絵とか漫画の上達に関わったらいいな」みたいなことも、今のところは特に意識していない。

でも、1か月日記を続けたら、とりあえず来年の私が描く漫画は「1か月日記を続けた人が描いた漫画」になる。これをしてなかったら、「1か月日記をやってなかった人が描いた漫画」になる。どっちが良いかとかは全然わからないし、結局私は前半の世界(「1か月日記を続けた人が描いた漫画」を描く私の世界)に住まうことになる。

はじめの方で、『悲しいことやつらいこと、「こうならなければ良いのに」と思っていることは私の身に起こらなければ良いとフンワリ思っている』と書いている。
そう思うけど、結局なんやかんや、そういうことは私の身に起こっている。悲しいことが一切無かったかと言われたら全然そんなことない。

ので、私が描く絵や漫画は今のところ、『「悲しいことやつらいことが起こらなければいいなと思っていたけどやっぱり何度か起こっている人」が描いた絵や漫画』であることが確定している。

まあこれを見た人が「あ、悲しいこととかいらないけど起こっちゃってる人の漫画だ!」とわかるかどうかは別だし、あと特にそこをすごくわかってほしい!と考えているわけでもまあ無いけど。

とにかく私はその自分の漫画のことが割と好きで、まあ自分でも「あーこれ悲しいことを経験した人の漫画だな」なんてわかんないんだけど、でも「その世界の漫画なんだなこれは」というボンヤリした意識でいる。

そういう私の世界の中心に何を据えるか、つまり『ここまで色んなランダム性によって構築されてきた「私」ができる様々な事象の中で、「私」が特に注目したいもの』が漫画や絵である、というだけで、案外「イイね」と思うなどしている。絵や漫画を描くのが好きだからです。

私は、料理も散歩も読書もゲームも、私が描く絵とか漫画に直接関係があれ!と思ってしているかと言われると、そういう時もあるけどそうでないときもある。

実際、私が絵を描く以外にしていることが、絵に繋がることもあれば全然関係なく忘れることもあるし、忘れたことに気付いてるときも気付いてないときもある。本当に色々ある、未来はわからないし世界で起こることは私にとって全部ランダムだから。

このマシュマロを送ってくれたあなたが「他のことするなら絵を描きたい!」と思って絵を描くとしたら、それは「他のことを差し置いてでも描きたいと思って描いた絵!」になるかなと思う。

その「他のこと」はあなたにしかわからないことだろうと思うし、描いた絵もあなたの絵だから、それは「他のことをしないで絵描きたいと感じるようになったあなたがいる世界」の絵ということになる。

そして、例えば別にそのとき描かなかったとして、じゃあその世界は「ウオーッ絵が描きたいから他のことしてないけどなんかやる気が出ないからやめとこ…となって結局描かない選択をしたあなた」の世界になる。
そのあなたが、その後ちょっとやる気出て描いた絵があったとしたら、その世界のあなたが描いた絵…となる。

そして、そのあなたの世界が続いていき…ということとなる。

「それ」が結局絵や漫画に繋がるか?と言われたらそれはもうわからないんだけど、あなたが今もし、私と同じように『自分の注目したいもの』に『絵、描く』を据えているのなら、それだけで私はやっぱり「同じだ……」と思うし、やっぱ多分嬉しいのかもしれないな。

最後の一文に気付くまでこんなにかかってしまった。あるもんだ。


よし!長い。今日はいままでで一番長いんじゃないか。

終わろう。もう14時になった。

また明日。

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