期待

人が人に期待するのって本当に身勝手だ

その人は他人に期待してるなんて言わなくても勝手に行動して結果を残すかもしれないのに!

期待してるよ。を裏返してみたら、結果の出せない人間は必要ないと書かれていました。これは私の思い込みでしょうか。人が怖いです。
成功を待たれてる状態で、何の蟠りも抱かずに望まれたものかそれ以上のものを人様にお届けできる人間になりたかった。


私が道も分からぬまま必死にもがいて走り続け、他の人間をつぶさに観察し、お世辞を言ってやりすごして、そうしてやっとひとつ掴み取った成功。
それを人の前に差し出した時、まるでぶどうのひと粒でも食べる時みたいに、「貴方なら出来ると思った」の一言で当然のような顔をするその恐ろしさ、人の傲慢さ。
人が怖いです。


なによりも、その暴力的な期待に答えようと行動している自分が1番身勝手で怖いのです。
結局、私は人の期待を裏切ることの出来ない弱虫なのだ。人を超えることも裏切ることも出来ず、ただ凡庸に苦しんで一生のたうち回るのでしょう。

私とは反対に、期待されることでいつもよりもっと良いパフォーマンスができる人がいます。

彼らは、「人に期待された自分バージョン1.0」を正しく自分の中に落とし込み、エラーを起こさずに作動させられるのでしょう。正直、その機能を搭載している人間が傍にいると、喉に毛虫が這いずり回るような嫌悪感に包まれます。
こちらが他人の視線に硬くなり、まるで粘着テープにくっついたゴキブリみたいに必死にもがいている横で、さらりと人々に「新しい自分」をお見せしてしまう。人々の予想の斜め上にその身を置く。私は底辺から、それをただ眺めるだけ。

これは負け惜しみなのですが、そうやって他人に容易く迎合できたところで、本当の貴方は一体どこにあるのかと尋ねたくなるのです。そんなに自分の価値を引き攣りあげて何がしたいんだ?

彼らは、人からの「期待」に恐れず、怯まず、ただ前に進んでいるだけなのでしょう。なんの息苦しさもなく、「より良い自分」を提示出来るのでしょう。嘘を誠にする力が、備え付けられているのでしょう。そこにプライドがあるのか無いのか、私には一向に分かりません。

一つだけ言えるのは、こんな日陰で愚痴愚痴と期待について屁理屈をこねくり回している人間よりも、期待に応えられるようにひたむきに動いている人間の方が遥かに愛らしく、周りに歓迎され、前向きな気持ちで人生を送れるということです。

それでは、また会いましょう。


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