死ぬとは?

人間誰しも必ず死ぬ

死とはなにか?
客観的にはこうだろう。
心臓が止まる。呼吸が止まる。脳の活動が停止する。新しい細胞分裂が起こらなくなる。

じゃあ当の本人にとっての死とは?
今生との別れ。
二度と目を覚ますことの無い眠りにつくこと
愛する人へ二度と思いを伝えられなくなる
好きな歌を聞けなくなる
思い出したくもない最低な思い出を思い出せなくなる
生まれた瞬間からずっと脳に刻み続けていた記憶というものが「死」を点にして無くなる
自分を自分として認識出来なくなる

人が死ぬのは絶対なのに、人は死について普段あまり向き合わない。というか、自分はいずれ死んで火葬されることを日々忘れずに生きている人間が、どれだけいるんだろう。

死んだら我々はどこに行くのか?それとも行かずに無だけが存在しているのか?(無いものがあるというのはおかしな言い回しだ)

人が1人死ぬ。
そこには圧倒的な不在がある。この人はもう二度と私の前には現れないのだ、話しかけてはこないのだ、という事実だけがくっきりと残る。

日本は火葬なので、遺骨が残る。でもそれを、生きてる時とおなじ一人の人間として扱うのはどうやっても出来ない。
生きてる時にはなんてこと無かった日常や、くだらないお喋りの内容や、その人に与えられた痛みなんかは、残る。その人が履いていた靴や、書いた文章、撮った写真なんかは残る。

それらは、その人が生きていた証しだ。確かにここに一人の人間が生きていたという証拠は、残された者へと受け渡される。生と死は、やはり繋がっていると考えてしまう。それは断絶することなく、私たちの皮膚に繋ぎ目がないみたいに連続し続けるんだろう。
死は生に。生は死に。生きてるものが死ぬとき、そこには確かに生きた人生がある。

今死んだら、生きてる人に何を残せるのだろう。
恋人や家族に、何を与えられるのか。

私は4月から働く。
どんな心持ちで仕事を全うすべきなのか、未だに答えは出せない。
人が死ぬということに、関わる。正確には、残された生きてる人、死を受け止めて生きていく人達と関わる。

覚悟は出来てる。我々は今生きている。

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