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我善坊谷

麻布通り飯倉の交差点を北に進み小学校の先にあったのが落合坂、これは往来する人が、落ち合う場所にあるので落合坂と呼ばれるようになったとか。落合坂を下ると南北の高台に挟まれた谷となり、その他にこそが我善坊谷、我善坊谷に下る坂が我善坊坂と呼ばれていた。

というのもすでにこの坂はない。再開発によって麻布台ヒルズとなり、谷は消滅してしまった。現在の谷筋は麻布台ヒルズの南側、駐車場に入るルートがそれに当たる。

我善坊谷の北側の高地は古くから住宅街であり、麻布市兵衛町。明治期には永井荷風が偏奇館を構えたが、通りを挟んだ東側の仙石山森タワーのあたりは幕末史では皇女和宮として知られる静寛院宮が晩年過ごした場所でもある。永井荷風は我善坊谷の事を書いているが(それは南側にある職場、慶応大学への通勤ルートでもあったろう)、静寛院宮にしてみれば夫であった江戸幕府第14代将軍徳川家茂の墓のある増上寺への参詣ルートでもあったかもしれない。


model;阿久ハルカ @aku.haruka (Instagram)


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