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「8月ジャーナリズム」と植民地主義的な”欲望”

 8月15日が近づくと戦争(ここでは主にアジア・太平洋戦争)についての記事を量産する所謂「8月ジャーナリズム」の社内企画の一環として、強制労働の歴史を伝えてきた朱鞠内の「笹の墓標展示館」を再建するために京都から深川に移住して活動する金英鉉さんを取材して記事を書いた。

 記事を書くまでの過程に”様々な”ことがあったが、改めて感じたのは日本社会一般において「戦争」とは基本的に大日本帝国臣民が悲惨な目にあったという範囲でしか理解されないのであって、(日中戦争をはじめとした)アジアへの侵略や植民地への抑圧を「戦争」として理解することができない、理解する認知枠組みが形成されていないのだと感じた。

 これは「8月ジャーナリズム」においても同様で基本的には「戦禍の悲惨さをいかに次世代に伝えていくか」のような被害を伝える紋切り型になりやすい。加害の部分は「無意識的」に排除するように記事が作られていく。そのなことは当たり前だし、理解はしていたが取材後の記事を書くやり取りの中で幾度となく違和感を感じた。

 心に抱えたモヤモヤが解消されず、大学1年の時に読んだ小森陽一『ポストコロニアル』(岩波書店、2001年)を久しぶりに読み返した。そして、納得する一節を見つけた。

「一般の日本人」が自らを戦争の被害者として表象する欲望を破棄しない限り,旧植民地の人々の声は,たとえ発せられたとしても,その声を「聞き取ってさえもらえない」位置におとしめられつづけるのである.「天皇」の戦争責任を免責したままの,いわゆる「戦争体験」をめぐる「被害者の神話」の言説共同体は,そうであるがゆえに,単一民族で均質的な,気分・感情の共有を過剰に求めることになる.…この免責によって,加害者として告発される声を聞き取らなくても済む安全圏に自らを囲い込むことが可能になる

前掲書、98頁

 本書はある種、近代日本の主体が否応なく抱えることになった「植民地的無意識」と「植民地主義的意識」という”欲望”を暴き出している。それは「新たに発見した『未開』と『野蛮』を植民地化することによって,あたかも全く存在しなかったかのように,記憶から消去し、忘却の淵に落とし,2度と浮上してこないように蓋をして意識しないようにする」(18頁)”欲望”だと言える。

 この”欲望”は本当に「無意識」に悪気なく植民地主義的な何気ない一言をマジョリティ日本人に選ばせる。

 あとがきを読んで18歳の時に仙台で読んだ時には何も感じなかった部分が妙に納得的に感じた。小森陽一は北大出身だったのかぁ、と。加えて、強制労働についてもここで繋がってくるのかと何か運命的にも感じた。

 歴史学を志していたにもかかわらず,ビラとタテカンとアジテーションの日々に明け暮れたために,史学科に進学できず,第七志望の国文科に進んだ後も,当時盛んだった「民衆史の掘り起こし」のはじっこの方にかかわりながら,「北海道」の開拓が囚人労働,とくに自由民権運動の政治犯のそれにたより,そうした「伝統」が強制連行された朝鮮半島の人々の「タコ部屋」労働にまでつながっていることを知るようになった.
 自分がまがうことなく,植民地支配の末裔であることを,認めざるをえなくなった.

前掲書141~142頁

(あとがき全文は岩波書店の本書のページから読めるみたいです。)

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