第166回 実はすごい復元模写

1、天下一の絵師は過労死

【今日の墓碑銘】をTwitterで配信している義視さん(@kamo1868)のツイートで1590年10月12日は狩野永徳が死去した日だと知りました。

狩野派という日本画壇の頂点を不動の地位に押し上げた大絵師。

47歳という若さで、残した業績が大きすぎるので、過労死かとされています。

全くの偶然ですが

たまたま職場で加藤純子氏の復元模写について話題がでたので、今日は狩野派の話題にしようと思います。

2、名古屋と松島をつなぐ縁

加藤氏は東京芸大で日本画を学び、平成四年から名古屋城本丸御殿障壁画の復元模写を手がけています。

名古屋城は今年6月8日、9年にわたる復元工事を終えて公開されたことで話題になっています。

名古屋城は1945年の戦災で焼失しますが、狩野貞信や探幽の手による障壁画や天井板絵がたまたま取り外されていたことから被害を免れていました。

実は、我が松島の瑞巌寺の障壁画の模写も加藤氏が手がけていたとのこと。はずかしながら今日知りました。

復元模写とは単にコピーしたものとはおおちがいです。

科学的な分析を行なって、当時の絵の具の成分を明かにして、材料から復元します。

当時よりも手に入りずらくなっている材料もあるので、オリジナルよりも高価な絵画になっている可能性もあります。

もちろん技法も当時の技術を再現しますので、手がけることのできる職人さんも限られます。

まさに模写する技術自体が文化財として価値のある営みであると言えるのです。

3、何を描くか

障壁画に描かれる題材は、縁起のよいものや、想像上の動物(龍や鳳凰、獅子など)、季節の草花など。

猛禽類が描かれるのが多いのは、武士が自分たちを重ねているからでしょうか。

洛中洛外図屏風のように当時の風俗を表したものや、瑞巌寺の文王の間に描かれたもののように、中国の物語から題材をとったものもあります。

なぜその題材が描かれたのか、は文書に書き残された例は多くないと思いますが、

ただ美しいとか豪華さに目を奪われるだけではなく、なぜ選ばれたのか、という視点でみるのも面白いかもしれませんね。

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