第130回 絵画からみる伊達な文化

1、ステキな美術史講座

今日はとある研修会で美術史の先生の講座を拝聴しました。

講師は山形大学の佐藤琴先生。

これまでも何度かお仕事でお世話になっておりましたが、じっくりと専門のお話をうかがう機会がなかったので、なんとしても、と思い聴講できました。

今日は

“伊達”な美術 宮城に伝わる桃山絵画の精華

と題して、

仙台城や瑞巌寺に残された障壁画(壁やふすまに張り付けられた絵画)とそれを屏風に仕立て直したもの、を素材にお話をいただきました。

織田信長と豊臣秀吉が巨大な権力を誇示するために生み出した絢爛豪華な桃山文化。

流行の最先端に触れた伊達政宗が、職人集団を地元に移住させて、輸入した“伊達な文化”。それが現代まで残っていることが価値。

ということでした。

2、伊達な障壁画

さて、では障壁画でみる伊達な文化の特徴は

・巨大なモチーフ

・輝く金地

の二つのキーワードで語られるようです。

狩野派の代表作といえば唐獅子図屏風

高さ220㎝もある本資料は当初から屏風ではなく、いずれかの御殿の障壁画を仕立て直したものと考えられています。

獅子の迫力は圧巻です。

翻ってわが町に伝わる鳳凰図も屏風にした時にだいぶ周りをカットしたため、背後の桐の木が一部しか残っていません。こちらも仙台城の大広間、恐らくは伊達政宗が座る席の後ろを飾った障壁画だったのでしょう。

それが少し時代を下ると萩に鹿の図のようにかなりスッキリした構図になってくる。

桃山文化というインパクトある作品が非常に限られた時期、まさに精華というべきものだったことがわかりました。権力者の変遷によって失われたものも多いからこそ、まとまって残っていることの価値が高いということでした。

3、政宗の想いあふれる瑞巌寺

そして、満を持して瑞巌寺本堂障壁画

実は本堂が完成した慶長14年(1609)にはまだ障壁画ができていなかったことが今回の平成の大修理で明らかになりました。

それにしても、です。

仏間の正面、仏事の中心ホールには孔雀の障壁画。

そもそも孔雀は優れた君主が世に現れる予兆とされる想像上の鳥、鳳凰のモデルとなった、という説もあります。

政宗公以下歴代藩主が座る、上段之間は牡丹、椿、葵、百合などの花々が描かれた障壁画で飾られます。

そこから一段下がる広めの部屋には文王と太公望の出会いのストーリーが描かれます。

文王とは中国古代の聖王とされる理想的な君主の代名詞。彼の飛躍のきっかけとなったのが参謀である太公望との出会いでした。

どちらもお寺の本堂というより、大名屋敷にふさわしい題材ですよね。

佐藤先生の講座はまだまだ盛りだくさんでしたが、書ききれないのでこのへんにしておきます。

続きは瑞巌寺をご案内する時にでも解説します。ぜひ当町を訪れの際はお声がけください。

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