第53回心を落ち着かせるモノは
1、導入
なんだかここ数日地震が続いており、心がざわついています。
SNSにはデマが流れるものの、以前の教訓から踊らされないように自ら情報の真偽を確かめるような流れがでてきています。
歴史上の地震から言えることを紹介する記事も多くありますので、
改めて私がお伝えすることはありません。
日本列島は常に地震に警戒する必要があり、ただ頻発する時期と少し落ち着いている時期がある、ただそれだけなのです。
今できることは普段通りの生活を送ることなのだと思います。
2、いつもどおりのコラム
さて、報道によると
「国内最古級の日本地図」が確認されたとのこと。
広島県立博物館が発表したところによると、この資料は個人から寄託されたもので、描かれた情報と文字の書体などから南北朝時代頃のものと推定したと言います。
地図は九州が上で、東北が下に描かれており、欄外には旧国名ごとに郡名や人口なども記入されており、ものすごい情報量です。
この一枚の地図を題材にシンポジウムができるくらいですかね。
記事では現在の沖縄県が「龍及国」と記されていることを特筆していますが、
個人的には今の北海道が描かれていないことが気になりました。
地図の下端は十三湊になっています。
3、地図に見える当時の人々の意識
地図の題名は
「日本扶桑国之図」
つまり、この地図に描かれているのは当時の人々にとって「日本国」として認識されていた地域ということになります。
地図をよく見ると、先程の「龍求国」は他の島とは違い、朱筆で形取られています。
これが何を指すのか。
よく古文書(古代の延喜式等)では日本の南の境界は「鬼界ヶ島(喜界島)」とされることが多いようですが、
その意識が中世まで人々に続いていたことを裏付ける証左にもなるかもしれません。
また、地元に引きつけると、「陸奥国」の中に「鎮守府」という文字が見えます。
鎮守府ははじめ多賀城市に置かれた軍政機関で、坂上田村麻呂の時代には岩手県の胆沢に移転します。
古代日本の前線基地というイメージでしょうか。
もちろん南北朝時代には長官である鎮守府将軍も名誉職になっていますが、
かの北畠顕家が任じられるなど、その威光は健在だったのでしょうか。
また陸奥国の玄関口である白河関も記入されています。見渡した限り関所が記されているのはここだけのようです。
このように一つの資料から、いくつもの論点というか、話題が出てくるのが歴史の魅力です。
ざわつく心を落ち着かせてくれるのは
やはり自分の好きなものを見ているとき、好きなことを考えているときですよね。
被災した方たちにもそのような穏やかな時間が少しでもありますように。
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