第106回 復興調査とはなんだったのか

1、遺跡調査費用は誰が負担するか

宮城県山元町で文化財のあり方について、今後重要になるであろう訴訟が起きました。

山元町の犬塚遺跡で土砂採取の計画があり、事前の調査で古代の製鉄遺跡が見つかりました。町と開発事業者は委託契約を交わし、発掘調査を実施しました。その部分は原因者として事業者が負担しましたが、調査終了後の整理作業や報告書作成の費用については額が大きすぎるとして支払いを拒んでいます。

そもそも発掘調査の費用負担は法に明確に定められておらず、原因者負担が望ましいとして、窓口の担当者は義務だと誤解されないように、お願いをしなくてはいけません。

そのような法制度の不備が今回の訴訟を生んだ大本にあります。

2、復興の名を借りて

復興事業、住宅の高台移転や復興道路として位置づけられた高速道路の建設に伴う発掘調査は、国費で行われ、全国からの応援職員が総動員されて、迅速に行われて次々と終了しました。

一方で今回のような土砂採取については、復興事業で必要になったものであったとしても民間の事業者の営利のための事業としてみられるため、特に優遇措置はありません。

特に山元町は上記の復興事業(公共事業)による発掘調査が非常に多く、その分新たな考古学的な発見が相次いでいた場所でした。

それを震災前からの担当職員1名でこなしているところです。

往々にして自治体では一時的に文化財の仕事が急増したからといって、専門職員を増員することはありません。応援職員や非常勤、臨時職員で乗り切ろうとするのです。

人手が足りないからといって開発は待ってくれないのですが。

3、山元町の文化財

せっかくなので、いくつか山元町の文化財を紹介すると、

まずは、合戦原遺跡。

こちらも震災後の復興事業、防災集団移転に伴う発掘調査が行われました。

調査面積は12,000㎡にものぼります。

古墳時代の終わりころから奈良時代にかけて数多くのお墓が作られた場所で、その中には壁画を横穴墓があったことで注目を集めました。

個人的に注目しているのは谷原遺跡。

これも震災復興で、高速道路常磐自動車道の工事に伴う調査が行われました。

中世の建物跡が100棟以上も見つかり、かなり長期間に渡って営まれた集落だったことがわかります。

すこし深入りすると、建物の規模が大きいものがあり、堀を巡らす武士の館の風情があるにも関わらず、高級な貿易陶磁(中国で焼かれたブランド品の茶碗や壺など)が少ないことが気になります。

さらには熊の作遺跡という奈良時代や平安時代の豪族の拠点が見つかった遺跡もあります。

このように、少し紹介しただけでもいかに山元町の復興事業やそれに伴う発掘調査がすごい勢いで進んでいるかわかるかと思います。

震災直後は遺跡が復興の足かせになるのでは、という悲しい報道もありましたが、これから調査成果がどう活かされるかで最終的な評価が下されることになるでしょう。

あの時しっかりと調査していてよかった、と一人でも多くの人に感じてもらえるよう、私も微力ながら活動を続けていきたいと思います。

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