第447回 勝手に考古学用語解説 NO.21 道

1、ついにガチャと呼ぶ人までTLに現れました

本日は某国民的イベントに駆り出されているため、

朝から深夜まで更新する余裕がないと思いますので

記事自体は前日に作成して、

日付が変わったらUPできればと思っています。

主にTwitterと地元紙でしか情報を入手しておりませんで、

大変偏った状況分析しかできないので詳しくは述べませんが

結果はどうなっているでしょうか。

2、本日のむかし話は〜

さて、子どもの寝かしつけの際に、何気なく歴史の話をすることが多いのですが、

最近は質問タイムの回が多くなってきて

道はいつからあるの?

という疑問に即興で答えてみました。

全ての道はローマに通ず!

とは言いませんでしたが、

道の維持には費用がかかること、

納税と軍事のために道が整備されたこと

などを噛み砕いて伝えたつもりでしたが、

小学三年生はどこまで理解してくれたでしょうか。

ということで、いつものようにこの事典をひいてみます。

これによると

考古学的には道は路面、路床、側溝として検出され、切り通しとして確認できることも多い。

舗装にも時代や地域、遺跡の性格などにより、砂利敷、礫敷、石敷から、塼(れんがの一種)敷まで様々ありますし、

路床にも様々な混ぜ物をして互層(種類の違う土を交互に積むこと)にしているものもあります。

古くは縄文時代の木道が神奈川県古梅谷遺跡や埼玉県寿能遺跡でも確認されているとのことですし、

弥生時代の原の辻遺跡では側溝のある幅3mの道が見つかっているようです。

これらは集落内の道ですが、

古代になると東海道や山陽道など官道の遺構が見つかっていますし、

枝分かれして地域へと伸びる郡衙伝いの道も各地で報告されているようです。

平安京や太宰府、ミヤギの多賀城、中世の鎌倉など都市的な場所では規格的な道路が数多く検出されています。

この記事は「道」というのものをどう考えるかという点には触れておらず、調査例を淡々と紹介していくタイプでした。

まああくまでも事典ですし、記事の後に「古代の道」についての単著が数多く参考文献としてあげられているので、考察はそちらで、ということなのでしょうね。

3、現代の道もどこかにつながっている

意外と道の実態についてはわからないことが多く、

例えば古代の官道は幅◯mは最低限確保するように、とか

地域内の道は地元住民が維持管理をするように、とか

細かなお達しがあったのかもわかりません。

ちょっと出展が思い出せないので後から追記するかもしれませんが

中世の都市、鎌倉では宅地を広げようと道をすぐ侵食してくるので

それを禁ずる法令が出されていたことをうすぼんやりと記憶しています。

このあたりは現代でもまま見られますよね。

明らかに道路などの公共スベースにはみ出しているような店舗。

あとは古代と中世で官道のルートが変わるというか、

東山道といっていたものが、鎌倉街道とか東街道とか別の名称のものに変わって、しかもルートも変えられています。

これは地元有力者の根拠地に近いところに道が動かされた結果なのでしょうが、

地元に新幹線を呼び込む昭和の政治家みたいで

時代が変わっても人は変わらないなと感慨に浸ってみたり。

道とそこにどんな人間模様が展開されていたのかを考えてみると面白いかもしれません。



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