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輪廻という恐怖を突破

バガヴァッド・ギーター本読み会11回目

zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。


本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

始まりはパッと頭に浮かんだ思いつき。
それに友達が賛同してくれて、第1回が始まったのは2023年9/14でした。
現在は34回目が終わり、五章の行為の放棄に進みました。


いま半分ぐらいなので、2年近くはかかりそうですね。


私が本読み会の中で印象的だったところを書き残しています。


そんな個人的な感想に共感いただけたら嬉しいです。


第二章サーンキヤ・ヨーガ

1.日々の生活は戦場なのか

二章38節
苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いの準備をせよ。そうすれば罪悪を免れるであろう。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


私たちの日常は平和で戦いはないので、関係ないでしょうか?

いえ、むしろ毎日が戦いだ!と感じている人も多いかもしれません。潜在意識で感じているかも。

取った取られた、損か得か、敵か味方か、正義か悪か、上か下か、右か左か?

そんな風に感じている人の身体はきっと肩凝りや腰痛といった症状、身体の緊張感覚があるかと思います。

何かを失うかもしれない、何か危険から守らないといけないと、頭では思っていなくても、肌感覚でなんとなーく感じているのだと思います。

危険から身を守るには、身体を鎧のように固くしておかないといけないのは、いざって時に、戦うか逃げるかのアクションのためです。

自宅でくつろぐ飼い犬のように、お腹を見せてだら〜っとはしてられないのです。笑

身体を固くして身を守るように、心も固くしてハートを守らないといけないのです。

それは、メリットでもありデメリットでもあることに、お気づきでしょうか。。。

ハートの固さは、悪いものだけでなく、喜びや愛を感じにくく受け取りにくいという副作用もあります。


2.言霊の幸はふ国の私たち

人は楽天的でなくてはならない。希望は、絶望よりも優れている。希望と楽天主義とは目標に到達し得る勇気と力とを与えてくれる。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


あなたは楽天的でしょうか、それとも悲観的でしょうか。

私はどちらかというと、楽天的です。
「大丈夫じゃない」「まあええんちゃう」「ラッキー」「ついてる♪よかった」「逆によかった」という言葉をよく口にします。

でも不安や恐怖や自信がない時は、悲観的です。こちらもご紹介します。笑

「もう無理」「疲れた」「限界」「どうせ」「〜のに」。。。苦笑

どちらの言葉をよく発する人と付き合いたいですか?

神代より言ひ伝て来らく そらみつ大和の国は 皇神の厳しき国 言霊の幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり
(山上憶良の長歌より部分)

日本語道の資料より


言葉には力があります。
気をつけましょう。


あなたの口癖のその言葉が、もしかして何かをストップさせたり、思い通りにならないという思い通りを引き寄せているかもしれません。


楽天的な思考や言葉から上手くいった!という経験はありませんか?

恐怖、意気消沈、悲しみは、良いことのみを期待し、行為の成功を望むことから生じてくる結果に過ぎない。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


しかし、良いことだけ信じたい!念じていればいいのか?というと、そういうわけにもいかないようです。ガッカリですね。

結果にこだわらない、平静な心を持つことの方がさらに優れている

科学で解くバガヴァッド・ギーター


と、楽天的よりもさらに優れていることがあるということです。

確かに、地獄も続きませんが、天国も続かないですから。


3.カルマ・ヨーガで突破する

二章39節
それを行ずれば行為(カルマ)の束縛を克服でき、神へ身を捧げつつ、無心の行為を行する道であるカルマ・ヨーガの教えを聞け。

科学で解くバガヴァッド・ギーター

「聞け」って言うのはクリシュナ神が、戦場で武器を落とし、敵を前に座り込む主人公である戦士アルジュナに言ってるわけです。

でも、ここは物語に入り込み、自分にも言われていると思い聞いてみましょう。

二章40節
神への身を捧げつつ、無心の行為を行ずる道である。カルマ・ヨーガの道においては、完全に行為が行われなかったとしても、その努力が無駄になる事はなく、失敗したとしても、逆の結果が生じてくることもない。このカルマ、ヨーガの行法がごくわずかでも、行じられれば、大いなる恐怖(輪廻転生)から人は救済されるのだ。

科学で解くバガヴァッド・ギーター


どうやら、カルマ・ヨーガが良いらしい。。。と、いうのは感じられますね。

無駄にもならないらしいし、恐怖からも救われるみたいなので。

自分の行為の結果にこだわらず、たとえ結果が良くても悪くても、成功しても失敗しても気にしない。無心に淡々と目の前のことを行うこと。


これをカルマヨーガといいますが、簡単なようで難しい。なぜなら私たちは潜在意識からくる思考や記憶に束縛されているからです。

輪廻を繰り返すというのは、ヨガでは恐怖と表現されているんですね。

輪廻を繰り返すことは、肉体の生と死だけでなく、人生の中で何度も同じような、似たような問題にぶつかるというのも輪廻かもしれません。

生きながらに輪廻の輪から抜けるための、宿題のやり直しのチャンスをもらっているのかもしれません。

ここらで、宿題を終わらせて次のステージで遊びたいですね!


由紀子

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