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『Episode 4.0 AXiS』を読みました。

 これまでの経緯はコレをお読みいただくとして。

 今日、『Episode 4.0 AXiS』を読了しました。先輩の支配人方が口を揃えて言う通り、確かにこれは劇薬で、ただひたすらに圧倒された。今、何を言うべきか迷いながら、キーボードと向かい合っている。

 順風満帆にファンを増やしていく777たち。そんな彼女たちの前に現れたのは、セブンスシスターズと同じ声を持つ6人の少女で構成された「AXiS」なるユニット。AXiSは777のライブをゲリラ的に乗っ取り、かつそれを美談としてまとめ上げることで一躍注目を浴び、その後も777への妨害を続けついにファンを根こそぎ奪ってしまう。それらの非道な行いに異議を唱えたハルだったが、その行動も計算されており、事態はAXiS対777の解散をかけた大型ライブにまで発展する。

 思い返せば、とてつもない苦しみと後悔に塗れた物語だった。これまでナナシスは、セブンスシスターズという大きな光を失った世界を舞台にしてきた。4UやKARAKURIはある種セブンスの電撃解散によって人生を狂わされており、アイドルが必ずしも希望だけを産む存在ではないことを描き続けた。それでもなお777や支配人、そしてコニーさんは輝きを求め、たくさん歩いてきた。その道のりに土足で踏み込んできたのがAXiSなのだけれど、彼女たちは、いや、天神ネロという孤独な暴君は、それまでを遥かに凌駕する憎しみを抱いて、我々の元にやってきた。

 天神ネロ。彼女にはアイドルを目指した姉がいた。しかし、その輝きはセブンスには届かず、日の目を見ないまま夢は破れていった。そんな姉を献身的に介護したであろうネロはしかし、七咲ニコルと同じ声をしていた。そのことが祟ったのか、姉は寝たきりで、今では妹のことも認識できなくなってしまった。

 この物語でも繰り返される通り、アイドルは「呪い」をも産み出す危険性を秘めている。時代の頂点を極めたセブンスは、その座を競い合った大勢の同業者の屍の上に立っている。そんな彼女たちが「私たちの歌や踊りで元気を与えたい」「みんなを笑顔にしたい」などと言おうものなら、なんて無邪気で残酷なんだと思うだろう。呪われた側は一生それを背負い、その責任を追及することも出来ないのに。

 だから、天神ネロは“それ”を利用することを思いついた。アイドルが産み出す呪いで、今度は「アイドル」そのものを永遠に亡き者にしてやろうと。エンタメを金儲けの道具とし自分たちを管理する大人たちも、その時々の流行に流される大衆も、キラキラした希望も、ぜんぶぜんぶ灰にしてやる。

公式サイトより

 これは以前から抱いていた持論なのだけれど、生身の人間がアイドルをやるのは限界があると思っていて。若き少年少女の夢や憧れから始まった物語が、商業的な理由や大人の都合によって変形させられ、まだ幼い心と価値観で他人の期待や身勝手な欲望、パブリックイメージを守ることや性的な消費を受けることさえも受け入れなければならない。その上彼らは常に「順位」「人気」によってランク付けされ、その評価はほとんどの場合加齢によって減じていく。そんな荒波の中で、自分の道を信じて歩き続けられる者が、どれだけいるのだろうか。アイドルを目指し夢破れた知人は、大人になって日本の都道府県が言えないことを揶揄され、涙したという。幼少期を芸事に捧げた者は、それが破れた時に立てる場所がないかもしれなくて、しかしそんなリスクがあるなんて若き少年少女は思いもしなかっただろう。

 天神ネロは、そうしたアイドルにまつわる「歪み」全てを焼き払うかのような、激しい怒りを抱えている。そしてその炎は、春日部ハルに向けられる。「誰かの背中を押したい」という切実で尊い願いが、絶望を産み出すこともある。ネロの凶行を止めることも出来ず、雨降る中傘もささず、倒れ込んでしまうハルの姿は、従来の「キラキラしたヒロイン」の敗北のようだった。

ーーなんだか、今の言葉にEPISODE 4.0最終話にあった春日部ハルの独白シーンを思い出してしまいました。

茂木:あぁ、あれですね。あれ、脚本の注訳に「殉教者の目」って書いたんです。言い終わりの後の、彼女の無言の箇所。
今回のインタビューではあまり内容については触れないつもりだったんですが、そこはもういいかな。笑ってないんですよ。あの時、ハルは。微笑んですらいない。
多くの人から賛辞を得て、確かに気持ちは届いたと思えた。でも笑っていない。偶像とは何なのか? 自分とは何なのか? 他者とは世界とは真実とは? 現代社会の様相を含めて、人の世の悲しみと、闇の中の小さな瞬き、そういう「あまねくすべてのもの」をあの一瞬だけは背負ってもらいました。
笑ってないのはそういう理由です。ただ、受け入れる。そして前に進むことを選ぶ。それだけが希望だから。一瞬だけ、というのがミソで、でもそれがすべてです。
そしてナナシスはあるべき姿に戻っていく、そんなシーンですね。

【アニメイトタイムズ独占インタビュー】
『Tokyo 7th シスターズ』茂木伸太郎総監督|
「EPISODE 4.0 AXiS」は成長とけじめの物語

 茂木総監督の言う「そしてナナシスはあるべき姿に戻っていく」とは、「キミは、何がしたい?」に立ち返っていくところだろうか。アイドルの光では天神ネロは救えないし、失ったものも返ってこない。「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」。かつて救いのようでもあった言葉は、今は少し諦観のニュアンスさえ感じられる。商業としてのアイドルでは、どうしても与えられない希望があるのだ。

 そして777の少女たちは、アイドル産業が抱える闇と、自分たちの身の回りに存在する「敵」を知ってしまった。私は未来人なのでその後の顛末を薄っすら知っているのだが、彼女たちは物語内で「成長」し、年を経るのである。それはある意味、彼女たちからイノセンスを剝ぎ取るような、二次元コンテンツとしてはかなり異例の試みのように思える。セブンスがそうであったように、アイドルは有限である。そのことに誠実であるからこそ、キャラクターとて「加齢」することを選択したナナシスというコンテンツ。今回の物語は、輝きへの無邪気な憧れに影を差し、アイドルとして歩き続けることで不可避的に生じる時間経過をそのまま取り入れるという、後の大転換を予感させる重要エピソードだったんだな、と思うのである。

 いつも以上にまとまらない文章で申し訳ない。もうちょっとAXiSと777の物語については考えていきたいと思う。


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