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2020 ACL初戦勝利! だが。

蓋を開けてみれば…!

今回のACLで我がマリノスが属するグループHは力のあるチームが揃い、死のグループと言われる。その中で最も強いと目されている全北現代に対し、2-1で勝利。めでたい!

そんな相手に対し、数多くのチャンスを作り出し、堂々とした、いや、いつも我々が見ているマリノスをそのままに表現した試合をし、初戦を勝利、しかもそれをアウェイで得た。なんということだ!

新戦力となる選手たちも予想・想像以上に良い働きをしてくれているように見える。

後半、また相手が一人減ってからは、どれだけ決定機があったことか。

それをことごとく外すのを見ながらケラケラと笑っていた。残り10分になるまでは。いや、うちらしいつまらない失点をするまでは。

試合が終わろうかという時間帯に、最近忘れかけていた過去のモヤモヤ、怒りに似た感情を思い出し沸き上がって来るのを自覚してしまったのだった。

読んでくれている人には申し訳ない。それを吐き出したくて書いている。



ミスは起こる。だから「確率のコントロール」が必要

前半のうちに2点のリードを得て、後半も順調にチャンスを作り出していく。さらには相手に退場者が出る。

そんな中で事故は起こる。

だがそれ自体を責めるつもりは、アンジ同様にさらさらない。

3点、4点と差を広げるはずが、一転して最小の得点差になってしまう。その中で、なぜ攻めなければならない? 無邪気に攻め込んでカウンターでも食らおうものなら、追いつかれ勝ち点自体を失って(減らして)しまう状況だ。

相手は80分に二人目が減った。回そうと思えばいくらでも回せる。前へ行こうとするプリテンダー、ふりがあれば十分で、押し込んだまま回せる。そんな残り10分少々の中、簡単にボールを失うプレーを見て、オレの脳内は違う意味で沸騰した


何度でも言うが、フィロソフィーとなるアタッキングフットボールを否定するのでもなければ、ミスを責めるのでもない。

ただただ、時間帯や経過、状況を考えてほしいということ。

攻めること、とりわけシュートを放つことは、相手にボールを「渡してしまう」ということと同義でもある。そうなった以上、何が起こっても文句は言えない。ロングボール一発で抜け出されて決められてしまうかもしれない。

この試合のこの状況で。残り10分や5分になって、最小差のままで、攻め続ける理由がオレにはわからない。相手は二人も減り十分にボールを保持できる状況だったはず。リスクフリー、余裕で逃げ切れるのに。

思い通りに得点を重ねられず突き放せなかった。それは仕方ない。ならばそれに合わせた判断を求めたい。

仮に追いつかれたとしたら。試合前半から中盤のように、時間は残されていない。その後の攻撃(シュート)の試行回数自体が稼げない。勝ち越せる確率は非常に少なくなる。

過去苦い経験をうちはしたのではなかったのか。そこから学んだのではなかったのか。優勝をして、そういうことはもういいやとなってしまったのか? そんなことを気にしなくてもうちは十分強いとでも?


勝った。久々のACLの初戦。しかも相手は強い。そのことは良かった。

しかしオレは複雑に、よろしくない感情が頭に渦巻いている。

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