2022.02.24

文字を何度も書いたり消したり、結局作っても人の目に留まるところに置かなかったり。もったいぶっているわけではない、言葉を吟味しているわけではない。ただ、残すという行為を自分にいつの間にか習慣付いているのだと感じている。

最近はもっぱら長い文章を書こうとしている。歳を重ねると、長い文章を書くことも読むことも段々と疎遠になっていくのような気がしている。こうやって文字に起こす行為や、読むというのは長い年月をかけて身につくものに思える。ただ書くも、ただ読むとも違う。思っていることを文字に起こす、文章から読み解いたり思いを馳せれたりすることを言っている。

ここ最近ようやく自分の中でわかりやすい言葉を使った歌詞に対しての解釈がちゃんとできるようになってきたと思う。誰もが足を止めてくれる言葉、難解ではなくストレートな言葉。ずっとそれらが苦手だった、芸がなくバカ向けの商業的羅列だと思っていた。問題は誰が使うかなんだと思った、読み解いて敢えてその言葉を大衆化したのだと感じる歌詞がプロでもアマでもインディーズでも時々ある。

自分の浅はかさに恥じるのと同時に、まだこの世界には興味の尽きないことが溢れているのだと安心もしたりした。自分の道はまだまだ続いているようだった。

愛している、この言葉を使う勇気はとても力が必要だ。このテーマで歌詞を書こうとした時本当の意味で愛していたことってあったのかと記憶を辿ったりした。あれは愛だったのか、下心の見え透いた好意だったのではないか。損得を計算した好意ではなかったか。こうして眺めると自分はそこまで人に心の底をひらいた経験が少ないように思えた。でも愛してほしかった記憶は沢山溢れ出てきた。今やそれらがエゴだったことに気づいてとてもじゃないけど口に出せない、けれどなんとなく他人はそういうエゴを欲してくれる時が沢山ある気がする。みんな愛されたかったのか、愛されていたというものに縋っておきたいのか。たまに神様みたいに崇められてしまう時がある。わかってくれた、理解をしてくれた、救ってくれた。そういった言葉を受け取るたびに違うそうじゃないと口走りたくなる。何一つ救えてはいない、何一つもわかってあげられてない、ただ自分はそこに佇んでいたに過ぎない。僕らというのはそういうちっぽけな存在なのだ、ただ言葉という恐ろしい狂気にも薬にもなりうるものを取り扱っている職業なんだ。だからあまりわかったような歌詞を書きたくなかった、お前たちの欲しているものだろと流行り廃りに身を任せて背負えるわけでもないしな。つくづく気にしいな自分がこの職業に向いていないことを思い知らされる。

それでも書き続けることしか能がない、自分ができることは続けることだけだ。昨日よりも良い自分を知っていきながら続けるほかないのだ。

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