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ただの一日

朝日はあんなに眩しく、始まりを教え
昼間の太陽は人が生きることを照らしてくれ
夕暮れはいつも柔らか。身体を包み込んでくれるようだ。

些細な連続、人の目以上に自分にしか最近は目がいけない。周りが見れない、先輩や自分が育った街だったり、ある種の繋がりみたいなものを深くしないように、いつでも離れることがくるその日の為に準備だけは怠らないように無意識にそうしていた。これが本音だった。

歳老いていくことよりも、歳を重ねて終わりがちゃんとくるということを知ってしまってからそうなった気がする。

でも、それでも声にすることだったり、無様にももがいてみたりすることは無駄だとは思わない。

そうして冬の中頃から無駄も愛してみようと思い始めた。

人生は失うばかりの連続だと思う、けれども得る喜び、知る嬉しさだってある。どうしてもそれを忘れがちになってしまう。これにも終わりがくると知っていたらエンドロールに身構える。喪失にはいつも平気ではいられない。失うはいつもその瞬間喜びを遥かに凌駕する力がある。でも、喜びや嬉しさ、暖かさはまた顔をだす。

太陽が登る時間も、月が登る時間もほとんど平等だと思う。

夕暮れ時の薄れた月は駆け足を少し緩くしてくれる。
登りきった月はいつも静かにそこにいる。
明け方、光と共に消えていく。

そしてまた太陽が登る。
時には曇り空の日もある、いつも同じとはいかないけれどそれで良い気がした。

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今日は少しだけ昼間の外をのんびりと歩いた。
激動の2月は3月のはじめまで尾を引いた。
気づけば春の息吹を感じる季節になった。
笑う子供達が横をすり抜けていった。
全然溶けない氷が詰め込まれたアイスコーヒーを片手に、自分が生きた街を歩いた。
沢山の旅をして出会った仲間たちの顔、僕を好きでいてくれる人達の顔が浮かんだ。
それと同じくらい、家族や友人達も浮かんだ。
悲しみに暮れる時間はとっくに過ぎた。いつまでもそこにあった繊細な優しさも柔らかさも忘れないように。

歌を作ろうと思う。
音楽、もう美徳も形式美も浪漫もいらない。
なにものでもない、なにものでもないけど僕は今を生きている。

人には説明できない、もう生み出したものをどう受け取ってもらえるか。そこでどうなるかわからない。でも歌をつくる人の心はきっとこれなんだとぼやけていたものが少しずつ光放つようになってきた。ぼやけたままだけどそこに導かれているような。

職人や、技術者、経験者しかわからないまの、苦しまないとわからないものは必要ない気がしている。

生きてきた中で等しく訪れる太陽と月を今は描きたい。

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そうはいっても相変わらず色々な物事に追われてる。落ち着いたら2月のことを振り返ろうとおもってます。

それでは、また。

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