ワンマンライブ延期のお知らせ


福岡市は新型コロナウイルスの感染急増の状況をみて24日からまん延防止等重点措置を要請することで話が進んでいることを受け、きたる1/29のワンマンライブは開催を延期することにしました。

この文言のメールを送る日がまた来るとは正直思ってもいなかった。思い出す昨年の苦い記憶、胃がキリキリする思いだ。あーもぅ、と割とデカめの声を家の中でだして黙々と予約してくれていた人にメールを送信する為に文章をつくりはじめた。誰のせいなんだろう、国のせいでもない気がする、行政のせいでもない気がする、油断してこの日に開催を決めてしまった自分のせいな気がしてごめんなさいがやたら多い文章になってしまう。遠方から来る人で飛行機のキャンセルだけ払う人もいただろうし、貴重なおやすみをとってくれていた人もいたし、なによりみんな楽しみにしてくれていたと思う。お金も時間も奪ったカタチになってしまったようで本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。


25歳をすぎた頃、自分を取り巻くものは変わった。強引にも休みとってこいよ!なんて言ってみたり、お前さんの見えてる世界を変えてやんよと息巻いていた若い自分が歳を重ねるにつれ誰かにも誰かの人生があって、そんな貴重な時間やお金を自分に捧げてもらう事に少々荷が重く感じることが増えた。

気づけば一生懸命にできていないことが増えて、人に会ったり話したりするのも億劫になってきたりあんなに明るかった周りは照明をパチンっと落とされたみたいに暗く感じた。

考えすぎだとよく言われて、その言葉に腹立たしく思ったりもした。金払ってもらってんだからチャラチャラと笑ってなんも考えずにライブをすんなって。楽しかったらOKは本当にくだらないとおもった。言葉やステージ上でのたうち回ることがエモや表現と呼んでしまえるのなら、少なくとも自分にとってはそれがなんらかの救いにはならないし、金を払って痛み分けなんてそんな思い誰にもしてほしくなかった。

きっちりお代分のライブをして、っていうのが難しいという壁にぶち当たったのはそんなことをうだうだ考え始めてからだった。

しきりに、誰からも面白いですか?って尋ねられるようになってその時だけはモチロンなんて言葉を返していたけどもはや音楽をやるということに楽しさはなくなっていた。したこともないような緊張をしたり、斜に構えた態度をとったり。もう多分ここらで終わりなんだと思えた。

ミュージシャンが死ぬ時ってこういう時なんだと思った。もう湧き上がることもない、なんとなくは生きていけてしまう。自分が特別なにかできる人間で、それなしだと死んでしまうし生きていく意味なんてないと思っていただけにちゃんと生き延びれてしまっている自分にガッカリしたりした。

自分が楽しくないことをこれ以上人にみせるのはいかがなものなのか。楽しいってなんだっけ。

お金払って満足して帰ってほしいこと。
できたらまた次もなんて思って帰ってほしいこと。至極シンプルなんだけど本当にそれに尽きる。あぁそうかもう随分と聞いて欲しい人から自分から遠ざかっていたのか、ごめんなさいの気持ちばかりで。

そんなこんなでこっそり路上ライブをしてみたり、人にお呼ばれしてライブをしてみたり。真夜中配信をしてみたり、遠ざかっていた人との距離を少しずつ元に戻していった。

それで、あぁ本当に考えすぎだったなって。
考えすぎってのは、考えていっこうに行動に移せてなかったって意味の考えすぎ。

自分で自分を取るに足らないと思い込んでいたかったのかもしれない、でもまだ考えはじめて何も動けていないよな。

そんな考え事を沢山した日々も、ひとりっきりになってしまった日々も、言葉をなくしていった日々も、シンガーソングライターとして至極真っ当に進んでいた過程にすぎなかったのかもしれない、でもそれを確かめなければってことで2022年は全力で動いてみようと思った。

簡単に手にできるものはつまらなくて、困難にぶち当たって手にした言葉は誰かに触れられる気がしている。

結果的にそう意気込んだワンマンライブもご時世が重なり延期になってしまった、連絡をやりとりした時は胃が痛かったけれど決まったことは決まったことで、変わらない事を変えようとすることよりも、この日を数倍返しで喜ばしいものでお返しする為に今日からまた歩みを進めようと思う。

ワンマンライブ 振替日 2022.03.26 決定

1.29にやるはずだったことをただ持ち越しにするのは芸がないので、さらに研ぎ澄ませてこの日を開催します。


止まったりはしない。
どうぞ、この日にお集まりいただけたら幸いです。


竹崎彰悟

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