9月19日

この仕事に就いて、初めてどうでもいい理由で休んだ。
グループLINEで『竹崎は休ませました』と同僚が話してるのをみて申し訳ない気持ちになった。

休んだ理由は端的に言うと『著しいやる気の欠如』だった、生きてたらそりゃ色々ある。

ChatGPTに色々相談した履歴が残ってるのを同僚が目撃して結構深刻に思われたのがことの発端だった。誰にも相談できないことをAI相手に話しているのは中々末期に見えたのだろう。

夕方になって同僚がスクショを送ってきた。

部屋は散らかったまんまで、重たい身体を起こすのも結構やっと。
言葉が入ったものは受け入れれず、小さくなるピアノのアルバムをかけて窓をあけてベランダでタバコを吸っていたら夜になった。

どうすればよかったのだろう。あれが正解だったのだろうか。
決断はしても答えは以前まとまっていないし揺らいでいる。でももう一歩まえに進んだのならやっぱなしでは通用しないよな、なんて考えていたら部屋がまっくらになっていたことにも気が付かず、そういえば何も食べてないと思い、とびっきり美味しいものを食べようと思って外にでた。

喫茶店にはいって定食とアイスコーヒーを頼んだ。いつも食べないちょっとボリュームのあるメニューを頼んだ。全部食べ終えたあと自分は過度なストレスの時食べ物は喉を通るし、ちょっと過食気味になるんだと思った。食べれなくなって命の危機に…ではなく、図々しくも生きながらえようとしていることにちょっとだけ嫌気がさした。

とはいえ、急に休みをもらってもなにもすることがなく、部屋を片付けたり整理するとか。なにかすればいいのにただなにもしないを選んでいた。
腹は膨れた帰り道、やっぱり仕事をしようとおもってパソコンを開いたけど、閉じた。

それからスマホでずっとテトリスをしていた。
以前読んだ伊坂幸太郎の小説のなかに『娘を失ってから、時間を埋めるためにナンバーパズルを無心でしていた夫婦』の話があって、なんとなく今はその気持ちがわかる。

長い、夜がとても長い。

しょうがなく、この間四国旅行に行ったときの写真を見返した。
桂浜に行った。そこには人が泳げない海岸があって、波の力強さと恐ろしさ、自然が恵みをもたらしてくれる顔をもっているけど、けっして味方ではない存在であると知らしめられた気がした。

そんなふうに時間を潰していた朝が来た。1日でなにもかも生活が変わるわけでもなく、整理ができるわけでもなく、また扉が勝手に開いてもとの日常に戻るわけでもなく。思い出の処理も怠ってしまってとりあえず見て見ぬふりをして。

少しだけ眠気がやってきた。このまま眠りにつこう。夢はみなくていいから身体を休ませてあげたい。9月は怒涛の日々だった、なにもかも落ち着かないことばかり、うまくいかないことに腹が立ったりした、不甲斐ないことにも腹が立った。怒りみたいなものを当てるほどの余力も残っていない身体は妙に重たい。消化しきれていない夕飯が残っているのか。

もう随分時間はかけたはずなのに。



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