鐵(くろがね)神社
産鉄由来か?地形由来か?気になる名前のあの神社
稲荷前古墳群からスタート。
前を通る日野往還(現・横浜上麻生道路)を上流方向に向かって進みます。
黒須田川を越えると、そこは「鉄」と書いて「くろがね」と呼ばれる地域。
なんだか気になる地名だな…
クロガネの語源
(上のリンク先は一見すると町内会のサイトに見えますが、実は個人で運営されているサイトのようです。郷土史や風習、説話などは、知っている人が居なくなると途絶えしまうので、ネット上で継承する試みは素晴らしいですね)
鐵神社
鉄町には、またまた気になる神社がありました。
その名も鐵(くろがね)神社。
横浜上麻生道路に接続している、桐蔭横浜大学の入り口が参道のようです。
目立たないけど、社号碑が建っています。
緩やかな坂道が奥へと繋がっています。
バスターミナルの奥に白い鳥居が…
左は桐蔭横浜大学の正門です。つまり、ここはキャンパスの敷地。いや、正しく神社の境内隣接地に学園が建っています。
ん?五十猛命…杉山神社の御祭神だ。
お参りしてみよう。
豊かな杜の中に鎮座。背後に御神木があります。
由緒
創建は不明。神奈川県神社誌によると戦国時代の天文年間(1533年-1555年)に勧請と伝えられる。新編武蔵風土記稿の中鐵村の条に「青木明神・杉山明神合社」とある。
明治初年(1868年)、上・中・下の鐵村3ヶ村が合併した際、現社名に改称。町の総鎮守。
桐蔭学園に起因するかは不明ですが、昭和49年に学問の神・天満宮を合祀しています。現在では、むしろ天神様にあやかりたい人の方が多いかもしれません。
元は杉山社?
なぜ、ここを訪れたか…もう分かりですよね。
この鐵神社、昔は杉山神社(明神)だったのです。
杉山明神…?
杉山明神って初めて聞いた。神社と何が違うんだろう?
なるほど、神仏習合に関係しているのか。
どちらが先に建っていた?
戦国時代に勧請されたとありますが、江戸時代後期には、既に青木明神と一緒に祀られていたようです。そこで想定されるパターンを考えてみました。
戦国時代となると小机衆の間で杉山神社信仰が広まったので、それが起因して杉山社が勧請されたとも考えられます。
青木明神も杉山明神も樹木にまつわる神社なので、林業がこの地域の主要産業だったのでしょうか?
「鉄」地名にある杉山神社
私が気になっているのは、杉山社のルーツに関すること。
「鉄」地名が古代の産鉄に由来していて、杉山神社=産鉄神信仰説を裏付ける可能性があるかも?
しかし、今回の訪問では、手がかりが見つかりませんでした。
地名の語源でも産鉄とは関係ないと書いてありましたので、両者を結びつけるのには、やや無理がありそうです。
鐵神社周辺の地形
毎度のことですが、この辺りの地形を見てみよう。
あっ、神社の前が屈曲した谷になっていたんだ。これが畦曲(くろがね)の語源なのか…?
参道がとっても不思議。
現在の参道は切り通しで、バスロータリー付近はかさ上げされているので、緩やかなスロープになってます。
しかし、昔の参道は小高い丘を登り谷底に下りてから、再び段丘を登って境内にたどり着いたようです。等高線3本分=15mの高低差があります。
なんで谷沿いに参道を作らなかったんだろう?
参道を曲げるのが嫌だったのか?
神社が隠されていた秘密の場所っぽい。
やはり、なんだか不思議な神社だった…。
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。