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小野路宿 鶴見川遺跡紀行(25)
近藤勇が駆け巡った青春の道
前回からの続きです。
関屋の切通し
小野路城を後にして尾根筋を東方向に進みます。
農園を越えて、都道156号(町田日野線)に出ました。
そこから、農道のような細い道を進むと…
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標識が見えた!
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その先にはクランクが…
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おぉ!くねくねしてる
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左手の壁、赤茶色の土はローム層のようで結構な厚さがある。途中に見える白い層は軽石層?下の方に穴がボコボコ開いて苔むしている。地層の境目で透水層?
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ここが関屋(関谷)の切り通し
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此道は布田道にて、幕末に近藤勇が通いし道に御座候。是より関屋を経て二町程にて小野路宿に着き申し候。
布田道?どこに行くんだろ…
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振り返ると左に山道が…
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この道は鎌倉古道らしい。前方の土塁状地形は砦の跡という話もある。
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しかし、この切り通し、確かに尾根の鞍部ではあるけど、そんなに険しい訳でもない。わざわざ切り通しにしたのは、何でだろう?
関屋は関所?
関屋は、関所があったことに由来する地名。
だから、切り通しを作って通行を管理したのかな?
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でも、何でここに関所を作ったんだろう?
目立たない場所だし、何らかの政治的境界とも思えない…。
古街道の交通ハブ「小野路JCT」
いや、侮ることなかれ!
実はかつての小野路は、複数路線が入り交じる古街道JCTだったのだ。
こちらの地図は幕末の小野路村の絵図。赤線は道を表します。
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中央は小野路村の目抜き通り。
左上が小田原道(府中通り大山街道 原町田から横浜も)
左下が神奈川道(飯田道 神奈川宿へ)
右上は八王子道(途中で小山田への道が分岐)
右下は府中道(関戸で多摩川を渡り、府中へ)
中央から下に伸びる道は、布田(ふだ)道(調布へ)
これだけは、ピンとこないかも知れないので…
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小野路は街道の分岐点。交通の要衝として宿駅が置かれました。江戸中期以降は大山詣が隆盛し、宿場町として大いに賑わったそうです。
こちらは「地図とデザイン」さんが、江戸時代の街道図を現代風にアレンジした地図です。
布田道
甲州街道の布田五宿(国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿)と小野路をつなぐ道。地域間の人流と物流を担っていました。
切り通しが作られたのも、馬が越せる路を考えてのことかもしれません。
江戸時代の小野路では、丘陵の雑木林の間伐材を用いた炭焼きが盛んで、馬に乗せて布田宿の炭問屋まで運んでいたそうです。そこで集めた炭を舟に乗せ、多摩川で羽田へ運び、大きな船に積み替えて江戸市中に供給していました。
炭は薪に比べて軽く煙が少ないので、裕福な家で使用されていたそうです。布田道の途中にある黒川(川崎市)も、黒川炭と銘されほど有名な生産地でした。
鎌倉古道(上ノ道)
源頼朝は支配力強化のため、鎌倉と東国各地を結ぶ街道を整備しました。鎌倉から武蔵国府(府中)と上野国府を通り、碓氷峠から信濃へ至る道が「上ノ道」。鎌倉街道の中で最も古い道です。
境川を遡り、傾斜が緩い多摩Ⅱ面から丘陵を越えるルート。本町田、小野路を通り府中に至ります。かの新田義貞も、鎌倉攻めの際に小野路を通ったと伝わります。
室町時代、鎌倉古道と布田道が交差する場所に、(一説によると)小山田氏が関所を作ったそうです。当時、国司や豪族たちが様々な名目で関所を設け、通行料や税を徴収していました。
小野路城が室町時代以降も使用されたのは、この地域が交通の要衝で防御の要だからでしょうか。
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【ご参考】
鎌倉街道「住宅地をたどる、武士たちの道」日本山岳会
https://jac1.or.jp/wp-content/uploads/2020/09/kodo_25-46-1.pdf
鎌倉街道を赤色立体図で探る(宮田太郎/歴史古街道団)
〜多摩丘陵に刻まれた道路遺構を、町田市小野路町・野津田町を例に〜https://adeac.jp/viewitem/tamashin/viewer/viewer/tamanoayumi180-redmap7/data/180.pdf
多摩丘陵の歴史古街道の構造確認と地域価値の創造 歴史古街道団https://rekkodan.web.fc2.com/report/taisei/taisei.pdf
小野路宿
小野路のメインストリートに出てきました。
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宿場町を意識した建物の数々や道路脇に水路もあり、風情を感じます。
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小野路の由来
室町時代より小野路(小野地)の名が見られるそうで、地名の由来は諸説あり。
①平安時代に、この周辺に広がっていた小野牧(御牧)に由来。「地名辞典」
②武蔵七党の一つ横山党の祖・小野氏に由来。「武蔵名勝図会」
③小野郷(府中付近)へ通じる路だったことに由来。「鶴川村史」
いずれの由来も、遡れば小野妹子や小野篁の子孫である小野氏に関連があり、小野路が小野氏の根拠地である府中周辺と深い関係があることを示しています。
小野路の歴史
古代
古代東海道(相模国府→武蔵国府)の街道が小野路を通っていました。
平安時代には、小野一族(横山党)が支配していたと伝わります。
中世
鎌倉時代には小山田氏が支配。本拠の小山田城に近く、鎌倉古道に接するこの地に小野路城築いたと伝わります。
戦国期、後北条氏の支配下で八王子道(小野路道)が整備され、小野路で鎌倉上道と接続。小野神社の梵鐘の銘によると、1403年(応永10年)には小野路は宿駅の機能を有していたようです。
近世
1617年には徳川家康の遺櫃を駿河から日光へ移す際に、鎌倉街道が使用され小野路を通過。以降、相模国平塚宿や矢倉沢関(東海道方面)から武蔵府中や八王子(甲州街道)へ至る脇往還として発達しました。
また、享保年間には小野路村周辺の丘陵地帯は鷹場となり、番所が各所に置かれました。
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近藤勇が剣術指南に通った小野家 (小島資料館)
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小野路村の名主・小島鹿之助は、天然理心流三代師範・近藤周助に入門し自ら道場を開きます。周作の門人で養子の近藤勇は、1852年(15歳)小島家を訪問。京都へ行くまで12年間にわたって、布田道を通って剣術指南に訪れています。
近藤勇と日野宿名主・佐藤彦五郎、小島(児島)は義兄弟の契りを結んでおり、佐兄、児兄と宛名し、頻繁に書簡を送っていました。
「小島資料館」には近藤勇関連の資料の他、小野路に関連する資料も多くあります。コロナ禍以降休館中ですが、現在は展示内容がデジタル公開されています。
多摩地域の名主ネットワーク
多摩は幕府直轄地で、主に武田氏・後北条氏遺臣らによって構成された名主ら(旧家者百姓)は、江戸時代にあっても中世さながらの半農・半士のような生活を営んでいました。
彼らには年貢収納や役務の提供のほか、領主の命令伝達の役割があり、読み書き算盤が必須でした。また、武士が常駐していない地域を守るために、自ら剣術を修め、村の若者たちに指導していたのです。
名主たちは婚姻や養子縁組などで、府中や八王子などを中心に強固なネットワークをもっていました。また、学問、書や詩歌、茶花道などの文芸にも優れた人々を多く輩出し、師弟関係での繋がりもありました。
小野路里山交流館
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幕末には宿が6軒ほどあったと言われています。里山交流館は旅籠「角屋」があった場所にあります。(角に建っていたから角屋?)
まさに、小野路JCTと小野路SA!
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武蔵名勝図会にも小野路が掲載されています。
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Google earthで見るとこんな感じ。
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小野神社
里山交流館のすぐそばに、小野神社が鎮座しています。
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小野篁、天下春命が御祭神。天下春命は知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の先祖とされる。
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応永十年(一四〇三)に、小野路村の僧正珍が寄進を募り、交通の安全を祈願して宮鐘を奉納した。朝夕に別当寺の清浄院(現在廃寺)の僧が宮鐘を撞いて旅人に時を知らせたという。
戦国時代の文明年間に両上杉の合戦で、宮鐘は山内上杉の兵によって陣鐘として持ち去られた。現在は、神奈川県逗子市沼間の海宝院に保管されている。
個人的推測ですが、おそらく「小野路」という地名になってから、小野神社を勧請したのかもしれません。
同名の武蔵一ノ宮・小野神社は、多摩川を挟んで多摩市と府中市にあります。多摩川の氾濫で遷座を繰り返すうちに、分社してしまったそうです。
小野一里塚
野津田公園に戻って来る途中、塚の上に木が一本。
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そして看板が…
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これが小野路の一里塚か!
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小野路散策は、中世から江戸時代、そして幕末の遺跡を巡る散策でした。町のあちこちに、史跡が散りばめられていて、とても楽しかったです。
町田市は郷土史学や地域学習に熱心な自治体です。
デジタルアーカイブや地域散策マップが非常に充実しています。
皆さまも是非!
町田市観光ガイドブック(2023最新版!)
https://mitte-x-img.istsw.jp/machida-guide/file/町田観光ガイドブック2023.pdf
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。