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センスと能力は別物だと思った

僕は民間企業に所属をして仕事をしているのだけど、それとは別に副業でいくつかの企業の支援をしたりしている。その副業がやたらと増えすぎていて、正直タスクが多すぎるのだけど、これは自業自得。少しずつ整理していく必要があるのだが、何を整理するかは決めかねている。

それはさておいて、副業において、諸々資料を作らなきゃいけないので、先ほど今週火曜に使用する資料を2時間弱で作った。

元ネタがあって、の話なので、ゼロベースで全部作ったわけじゃないし、既存のものの組合せがメインで、僕個人のエッセンスを入れている部分ってのは組合せるところとあと数ページ、ってくらいなのだけど。

こうやって、僕は資料を作ることが苦手なわけではなく、短時間で既存のものを組合せて、そこそこの資料をパパッと作ることができる。

これって知識と経験、そして何を伝えたいか、ってことがある程度明確になっていると出来ることなんだよな、って改めて思った。何を伝えたいか、があって、それに合わせたイメージを経験の中からなんとなく作って、それに合うものを今まで見てきたものから引っ張り出してくる、みたいな。

知識と経験と伝えたいものがあれば、それっぽい資料を作ることが出来る。でもそれが「センスがいいか」「目を引く資料か」ってことは全く別問題。

僕は資料作成のセンスってのは壊滅的になくて、既存のものを組合せたり改変したりすることは出来るのだけど、センスのいい資料を作り出すってのが超苦手で、そんなことが出来る気が全くしない。

つまり、僕が得意なのは、1を2や3にしたり、1+1を5や10にすることなんだと思う。一方で、0を1にすることは出来ない。完全に不得意な領域。

この、0を1にすることが、いわゆる「センス」なんだろうな、って思う。そこでセンスがあるかどうか、ってのが問われるんだろうな、と。

このセンスってのが、持って生まれたものなのか、後天的に身につけられるものなのか、ってのは正直分からんけど、僕は持って生まれたもの、って部分が強いんじゃないかな、と思う。両方ある方が間違いなくいいのだけど、前者だけでもセンスがあるけど、後者だけだとセンスがない、ってことになるんじゃないかと。

個人的に好きだった本で、「センスは知識からはじまる」って本があるのだけど、僕はこれはその通りだとは思ったんだよね。いろんなものを見聞きすることでセンスが強化される、ってのはそうだな、と。知ることで良し悪しもわかるし。

でもさ、知らなくても分かる人はいるんだよね、世の中には。そういう先天的なものの上に知識が積み重なるからこそ、センスがいい、と評価されるんだろうな、と。

まあ、何を言いたいかと言うと、僕にはそう言うセンスがない、ってことと、センスがないことと得手不得手ってのは別の次元の話ですよ、ということです。

そして僕は、多分資料を作るのは得意な方なんだと思うのだけど、資料を作るのは嫌いなので、可能な限りやりたくないと思っています。資料作りが壊滅的に下手くそなやつっているので、そういう人間じゃなくてよかった、と思ってますけどね。

相変わらずまとまりがないな。

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