大卒にこだわる必要はないと思うが、今いる世界から抜け出そうとすることは必要だと思う

たまたまこんなブログを目にした。

なるほど、『両親及び親類縁者に四大卒がいない中で始めて大学に進学する人間(世代)』のことを『ファースト・ジェネレーション』と言うのか。初めて知った。聞いたことあったかもしれないけど、記憶になかった。

それを読んでちょっと思うところがあったので、少し書いてみたい。

僕自身もファースト・ジェネレーションだと思う

多分僕自身もファースト・ジェネレーションに当たるんだろうな、と思う。両親は高卒だし、周囲にも大卒はいない。兄貴が地方の駅弁大学へ進学したが中退し、僕は辛うじて国立大学を出て、国立大学院も出て、現在に至る。弟も専門学校卒なので、まともに四大を出たのは僕だけ、というのが周辺の状況である。

まあ、僕は現在40代半ばで、親の世代は大学に行かないのが普通、って感じだったはずなので、今の現役世代のファースト・ジェネレーションとは比べるべくもないだろうけど。

僕が進学できたのは、運が良かっただけ

上のブログでは地方と東京での意識の違いとか大学に対する考えの違いとか、そういうのは大きいだろうな、と思う。僕も地方都市(と言っても人口30万人程度の中規模の都市)だったので、周囲は高校を出て就職する人間が遥かに多かった。進学校とかはそんなこともなかったのかもしれないけど、僕が通っていた工業高専でも大半は就職、ごく一部が進学、という状況だった。

そんな中で僕が大学院まで行けたのは、本当に運が良かったと思う。特に母親が僕らを進学させようとしてくれた、そのために金を惜しまなかった、そこが大きかったと思っている。

いや、家はクッソ貧乏でしたよ。そもそも父親がいなくて母子家庭だったし、正社員とは言え地方都市の女性の収入なんて知れてるし、おまけに父親が作った借金を返済してたし。見事なまでに最初から最悪なカードを持たされてた。

まあ僕らの場合は最初からそういう状況だったから、「そんなもんだよね」って感覚だったかも知れない。でも母親はそうじゃないよね。色々と押し付けられたようなもんだから。母親こそ最悪だったと思う。

それでも母は僕ら3人の子供が進学することを考え、常にそれを優先してくれた。今考えてもありがたいと思っているし、そこが僕にとって最も運が良かった点だと思っている。

僕は地元からとにかく抜け出したかった

僕の場合はそんなふうにとても運が良かったのだけど、でもそれでも母親の希望は僕が地元に残り、地元の駅弁大学へ進学し、そのまま地元で就職、だったのは間違いない。当時はそのことを何度も言っていた。

そのまま地元に残ってたら、今の僕はなかったし、もっと鬱屈した人生になってたんじゃないかなぁ。そういう意味では、母親の言うことを無視して自分で決めてきて、良かったと思っている。

僕が何で母親の言うことを無視して地元を出ることができたのか、あるいは当時は「何が何でも地元から出たい」と考え続けていたのだけど、どうしてそう思うようになったのか。

そこが、地元に残る人間と残らない人間の大きな違いで、上記のブログ記事にもあるように「地元で高卒で就職することに疑問を持たない人」と「地元から出て大学へ行きたい人」との違いなんだろうな、と。

ブログ記事では、著者が「なぜ大学に行こうと思ったのか」については書かれていないのだけど、僕の場合はどうしてそうなったのか、ってのを改めて考えてみると、『本を読んでいた』ことが大きいんじゃないかと思っている。

本を読むことで世界が広がった

昔から読書が大好きで、生まれて初めて泣いた本は『フランダースの犬』だし、小学生の頃は江戸川乱歩、モーリス・ルブラン、コナン・ドイルにハマったし、中学になったら『ロードス島戦記』で今で言うラノベにハマりだし、田中芳樹を読み始め、その影響で三国志も読み、一方で本格ミステリを読み漁り、ってのが大学卒業まで続いた。院生の頃は1日1冊を1ヶ月続けてたこともあったなぁ。そんな暇、よくあったな。

当時から比べると今はあんまり読んでないけど、それでも月に10冊くらいは読んでるんじゃないかな。ビジネス書、エッセイ、小説、自己啓発、なんでも読んでるけど。

それ以外に漫画もアホほど読んでたな。漫画だけで1,000冊くらいあったんちゃうかな。引っ越しのときにほとんど売ったけど。

今はKindleばかりなので、本を何冊持っていてもかさばらなくて最高。

こうやって本を読むことで、いろんな知識を増やすとともに、いろんな考えやいろんな世界に触れてきた。そのことが、僕の視野を大きく広げることにつながったのだと思う。

前述したように工業高専へ進学したのだけど、親からは普通科高校へ進学することを期待されてたし、僕もずっとそのつもりだった。でも中学3年のときに考えが変わって高専へ進学することを目指した。そのきっかけはロボコンだったんだよね。結局高専ではロボコンに参加しなかったけど。

高専から大学へは3年次編入になるのだけど、それも地元の駅弁ではなく、遠く離れた大学を選択した。もちろん家計の負担にならないように奨学金を取り、入学金や授業料免除も取り、学生寮に入り、って感じで費用は可能な限り抑えた。大学院にしても、どこに行くかは自分で決め、別の大学の大学院へ進んだ。

なんでそんなルートを取ったか、って言うと、もちろん僕がそうしたかったから、なんだけど、結局は「本を読んでいた」ことに尽きるんじゃないかと思ってる。本を読むことで、いろんなことを疑似体験した、それが僕に新しいことを始めるきっかけを与えてくれたのではないかと。

知らないから選べない。本を読めば知ることが出来る

何を言いたいのかと言うとだね、要は『本を読め』ってことですよ。本を読むのはすごくいいことだよ、と。もちろん漫画でもいい。むしろ漫画のほうが読みやすくて楽でいいよね。映像で入ってくることの説得力も違うし。

漫画で読めるならそれでいい。漫画を読んだあとで「活字で読んでみたい」「もっと詳細を知りたい」ってなったら、活字の本も読めると思う。どんどん読んだほうがいい。

結局のところ、「大学へ進学する選択肢がない」ってのは、大学に進学することの意味だとか、その先の世界や生活とか、そういうのを『知らない』からなんだと思うんだよね。知らなかったら想像もできないし、選択もできないよね?

例えば、鬼滅の刃を知らない人は、いつまで経っても鬼滅の刃の面白さを体験することも想像することもできない。知らないってことは、その人にとって存在していないのと同じことになる。

だから、まず知ることが大事。知るためにもっとも手っ取り早いのは、インターネットでいろんなことを調べるか、本を読むか。そのどちらかだと思う。

今はインターネットがあるからいいよね。なんでも調べられる。最高だと思う。それでも、本を読むことで得られることもたくさんあると思ってる。

特に本は、疑似体験が出来る。これはインターネットの記事やYoutubeでは得られないメリットではないかと。

たくさん読めば、きっと自分のやりたいことが見つかる

本を読めば、何冊も読んだら、「こんなふうになりたい」「あんなふうにしたい」「あそこに行きたい」「これをやりたい」って出てくるはず。その「やりたい」って気持ちを大切にすれば、自ずと自分が選ぶべき道が見えてくると思う。

で、その「やりたい」は、コロコロ変わっていい。ずっと一つのことを思い続けて実現させる、それも素晴らしいし、いろんなことをやりたいと思うことも素晴らしい。良し悪しなんてそこにはない。どっちもいいことだから。

だからね、みんなたくさん本読もうぜ、って話です。漫画読もうぜ、ってことです。

あと、小さな子供がいる親御さんは、できれば一緒に絵本とか読んであげるといいと思う。我が子も本を僕以上に読むのだけど、それは偏に妻が子どもに読み聞かせてたからだと思ってる。妻に感謝してます。

あるいは、自分で本を読むようになっていたら、それを邪魔しないであげて欲しい。そうしたら、自分で自分の可能性をどんどん勝手に広げるから。

何より、本を読むのは楽しい

そして何より、本を読むのは楽しいよ。楽しいことはもっとやっていったほうがいいよね。

もちろん、活字の本を読むのは楽しくない、って人はいると思う。でも面白い漫画を読むのは、多分楽しいんじゃないかと。4コマ漫画とかでもいいだろうし、なんだっていい。自分が面白い、と思えるものを読んでみるといいんじゃないかと。

まあ、行き着くところは「自分が面白いと思えることをやってみようぜ」っていう身も蓋もない結論になるんだけどね。

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