記憶と写真は別でいてくれよ

記憶だと思っていたものが写真だった
ということがよくある。

特に幼い頃の記憶はそうだ。

川辺の小屋で貯金箱を作った経験をよく覚えていると母親に話をした途端「ちょっと待ってね」と言われ、まさにそのシーンの写真が出てくるのだ。

なんとなく悔しい気持ちだ。
儚く美しい記憶だと思っていたものが、その時の感情そのものではないと知るからだ。

それなら、絶対に写真ではない記憶を自分の中から見つけてやろう。
僕の通っていた保育園の男子トイレの立ち小便器には、それぞれ目の前にウルトラマンティガウルトラマンコスモスの写真が貼ってあって、僕はなるべくコスモスの前で用を足すようにしていた。

これは儚く美しい記憶の1つだ。

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