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「呪い」の話。

もし、神様という存在がいるのなら。
きっとその彼は、意地悪だろう。
天から私たちが苦しむ姿を見ても、言葉でしか救ってくれないのだから。
救うなんて、傲慢だ。

私は言葉に影響されるタイプだ。
第三者が第三者に言った言葉、つまりは何の関係もない人間の言葉にも。
それはたまたま見てたドラマやアニメのセリフかもしれないし、聞いていた曲の歌詞かもしれない。
何にせよ、他の人より言葉に影響されやすくて、
その度に傷ついてみたり、
苦しんでみたりする。

つまり私は、ずっと誰かの言葉に囚われ続けている。
それを私は呪いと呼んでいる。
令和の時代に非科学的な、と思われるかもしれない。
そしてこれは『富豪刑事』(アニメのやつ)と『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見て実感したことだけど、
その呪いは他人でないと解けない。

例えば、『眠れる森の美女』。
死の呪いは100年の眠りへと妖精の力で変わった。
その呪いを解いたのは姫自身じゃない。
いばらに囲まれた城を進み、魔女を倒した王子だ。
その呪いに囚われたのは父の国王で、
王はその国の糸車を全て燃やした。

呪いをかけられた姫。
呪いを解いた王子。
姫にかけられた呪いに囚われた国王。
私はいつだって国王の立場なのだ。
国王の呪いは誰かが解いてくれたのだろうか?
彼はこれからも大切な一人娘がまた100年の眠りに落ちることへの不安を抱えながら生きたのではないだろうか?

アニメの登場人物は必ず呪いを解いてくれる人がいる。
呪われた側は「姫」で解く側は「王子」だからだ。
視聴者である「国王」の呪いは誰も解いてくれない。
でも、この世界には言葉が氾濫しているから、
私みたいな人間はすぐに呪われる。
誰も解いてくれないのに。
どんどん重たくなって、抱えきれなくなる。

だからふとした時に、誰かの言葉に触れたくなってしまう。
眠れない夜に。人恋しい時に。
思い出したように、蘇る。
「誰か、助けて」と。

悪いことだけじゃない。
私が呪いと呼んでいるそれは、
時に「座右の銘」と呼ばれる。
誰かにかけられた呪いは誰かにしか解いてもらえない。
その「呪いを解いた言葉」を私は「座右の銘」と呼ぶのだと思う。

「座右の銘」に出会うにはどうしたらいいのか。
結局、言葉に触れるしかない。
だから私は本を読み、ドラマやアニメを見て、音楽を聞く。
そこに私の呪いを解いてくれる言葉があると期待して。
救ってくれると期待して。

また呪われるかもしれないけど、
でも誰かの言葉を出来るだけ多く持っていたい。
誰かの言葉しか、私の呪いは解けないけど、
私の呪いを解けるのは私だけだから。
私が出会った人の言葉だけだから。

呪われ、時に傷つき、刺さり、苦しみながら、
浄化してくれるものを探して、誰かの言葉に触れる。
どうか、どうか、私の呪いが解けますようにと
願いを込めて、手を伸ばす。
すると、座右の銘に時々出会う。
思ってもないところで出会ったりもする。
それが嬉しくて、泣きたくなる。

書き手の思いがこもった言葉は強い。
でもそれは自分を守ってくれる。
盾になり、道しるべになる。
ヴァイオレットの道しるべが「愛してる」だったように。

私も、あなたも。
いつか呪いが解けますように。
盾に、道しるべになる言葉に、出会えますように。



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