私は本を読むことが好きだ。

初めまして。
九十九雪仁と申します。
これから記すのは本当にあったような、なかったような話です。
お楽しみいただければ、幸いです。



小学生のとき、生きるのが本当に嫌になったことがある。

学校で理不尽にいじめられていた。
家族に言えばよかったのだろうが、親は共働きだったことに加えて、弟妹にかかりきりだった。
言いたくても心配と迷惑をかけるのが嫌で言えなかった。

友達と言える人はいなかった。
家にゲームはなく、漫画も(小学生のうちは)あまり読ませてもらえなかった。テレビはあったが、弟妹が幼かったので、幼児向けのビデオが流れていた。
家は山中にあり、近くに公園や遊具があるわけではない。
一人で遊ぶのも外で遊ぶのも苦手だった。
本だけは自由に読んでいいという家だった。
本に目が向くようになったのは自然なことだと思う。

字面通り、本が友達だった。

いつから本を読み始めたのかはわからない。
小学一年生の頃だったか。
たくさん本を読んだ人が学年ごとに表彰されるということがあった。
その時自分は表彰されることはなかったが、表彰されている人が羨ましいと思った。
次の年から毎年ずっと表彰され続けた。

ファンタジー、SF、推理小説、文学。
自分の興味のある本しか読まなかったが、楽しかった。
もっぱら星新一と江戸川乱歩に傾倒していた。

あるかもしれない未来に思いを馳せ、怪人と探偵の対決に胸を躍らせていた。

(星新一で描かれた未来が現在、形になっているというのは面白いと思う。)

本を読むことに集中しすぎて移動教室を忘れることが多々あった。

中学時代。散り散りにあった小学校が一箇所にまとめられる形だったので小学校のいじめも続いた。
部活が強制されるタイプの学校だった。
文化部は吹奏楽部のみ。
運動が苦手な自分の足は吹奏楽へ向かった。吹奏楽をしつつも、本を読むのはやめられなかった。
学校の規模が大きくなるとともに読む本も変わっていった。
純文学と呼ばれるものから大衆小説、ライトノベルまで読んだ。
太宰治の「人間失格」を読んで彼の苦悩を追体験し、東野圭吾の「容疑者Xの献身」を読んで結末に惑い、時雨沢恵一の「キノの旅」を読んでともに旅をしたつもりになった。

楽しいことは人それぞれだと思うし、それを始めるきっかけもそれぞれだと思う。
読み始めるきっかけこそ、後ろ暗いものだったが、今の私にとって本を読むのは楽しいことだし、本は今の私を形作っている。

大学生になってからめっきり読まなくなってしまった。
鬱になったからだ。
文章を追うことが辛くなる。
眠ることもできない。
日常生活が成り立っているからこそ、本に没頭できることを思い知った。

大学を卒業して、いろんな影響で就職はできずにいるが、心に余裕はできた。
(「いろんな影響」についてはまた機会があれば形にしようと思う。)

とりあえず、手元にある本を読み直すことにしよう。

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