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かけがえのない3等分【音声と文章】

山田ゆり
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日目
※長年使っていたPCの調子が悪い中、
今朝も調子がいいのでだましだまし使っています(≧◇≦)
※音声・文章、どちらでも楽しめます。



おはようございます。
山田ゆりです。



今回は
かけがえのない3等分
ということをお伝えいたします。


私は姉と弟の3人姉弟だった。

昭和40年代の頃、3人で近所を歩いていたら1円玉を拾った。
交番に届けるという気持ちは全くなく
私たちはその銀色の1円玉を握って駄菓子屋さんに行き、
1個50銭のキャラメルを2個買った。
そしてその2個を3人で分けて食べたという思い出がある。

あの頃我が家はとても貧乏だった。
友だちが一日50円もお小遣いをもらっていると聞いて羨ましかった。

当時のお小遣いといえば、
お正月に親戚のおじいちゃんから頂く百円札1枚が
唯一自分の自由になるお金だった。



私たち3人は食べ物をいつも分けあっていた。

りんごや梨が1個あれば3等分。
菓子パン1個も3等分。

何でもモノを見ると
すぐに3つに分かれた姿を想像していた。

「もっと食べたい」そう思っていた。
「いつかはお腹いっぱい食べたい」
と思っていた。



私は牛乳を入れるとトロリとなる「フル―チェ」が大好きだ。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2022/09/2022-09-21_06h38_38.png


母が買ってきたフルーチェを3人で分けた。
みんなより早く食べ終わった私は
「もっと食べたい、お腹いっぱい食べたい」といつも欠乏感を感じていた。



時は過ぎ、姉が結婚して我が家を出た。
それからは何でも「半分こ」が日常になった。

勿論、フルーチェも「半分こ」だった。
3等分に比べたらたくさん食べられるようになった。

その頃、私は働くようになっていたから
自由におやつを買うことができるようになった。

でも、フルーチェを食べる時はやっぱり弟と半分こしていた。

「いつか、お腹いっぱい食べたい。」
フルーチェは4人分と書かれていたが
目の前にあるものを全部食べたいという気持ちはずっとあった。




そして数年後、全く予想もせず
弟が不治の病に罹り
僅か3か月の闘病の末に亡くなってしまった。



葬儀一式が終わったある日
葬式の時に上がっていた盛り篭のなかに
フルーチェがあった。



もう、誰も邪魔する人はいない。
私は一人でそれを平らげた。


しかし、
それは満足を得られるものではなかった。

3等分にした時のあのおいしさは
独りで食べた時にまったく感じられなかった。



満腹感はあったが
心の中は物足りなさが残った。






今回は
かけがえのない3等分
ということをお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。



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