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田畑を相続した我が家の場合

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代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「…
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2024年1月の記事一覧

「小さい畑」の裏話【音声と文章】

致死性不整脈で夫は突然亡くなった。 そして私は専業農家の夫から田畑を相続した。 相続した田畑は大きく分けて「田んぼ」「大きい畑」「小さい畑」の3つ。 私と娘3人の我が家は、農業をする時間も体力もなく、農業をすることを諦めた。 そして農業委員会へ田畑の売買または賃貸の希望を出したが、農業の高齢化が進む中、誰からも何もなかった。 しかし、夫が亡くなって4年目にしてことは大きく動いた。 「大きい畑」は借り手が見つかった。30代の若い方が農業を始められていて、今後拡大したいからと言うことだ。 農業をしたいという若い人がいるのは意外だったが嬉しい。 一番条件が悪い「田んぼ」も買い手が見つかった。売買契約も済んだ。代金も入金になった。 「大きい畑」と「田んぼ」に関してはこれまでnoteでお伝えした通りだ。 「小さい畑」に関してはまだnoteに書いていなかったが、こちらも運よく買い手が見つかった。 こちらは、お隣の畑の方が買ってくださった。お客様は実はすぐ目の前にいたのだった。 これまで農業委員会へ売りたいという申請を出していたがなしのつぶてだった。 農業委員会の調整委員の方から何度か連絡があったが、昨年、「隣の畑の人が買ってくださったら一番いいのにな」と言った私のひと言で、「では、お隣の所有者に相談してみますね」ということになり、聞いたら「いいですよ」となったのだ。 ブロッコリーを綺麗に植えていらっしゃるその畑を見るだけで、我が家とは違ってしっかりされていると感じる。 この小さな畑をお隣の方に売るという段階になって驚くことが分かった。 土地の売買にあたり、法務局から図面を取り寄せ調べたら意外なことが分かったのである。 それは今まで我が家の土地だと思っていた部分の一部が、登記上はそのお隣さんの持ち物だったということが分かったのだ。 そこには我が家の大きなビニールハウスがあったのだが、ビニールハウスの後ろ3分の1くらいがお隣さんの持ち物だと判明したのだ。 私の父も、お隣さんのおじい様も既に他界しているからはっきりしたことは分からないのだが、恐らく、お互い口約束で「ここ、使っていいよ」「ありがとう」ということで話がついていたのだと思う。 知らぬとはいえ、長年、人さまの土地をタダでお借りしていたのだ。 そのことを農業委員会の調整委員を通じてお隣さんに謝罪とお礼を申し上げた。 これまでの賃借料を私は覚悟していた。 しかしお隣さんは、「別にいいですよ」とおっしゃってくださった。 そして、快く私の土地を買ってくださることになった。 そしてこの小さな畑は農業委員会を通して売買契約をし、手続きは全て終わった。 夫から相続した「田んぼ」と「小さな畑」は売ることができた。 そして、まだ所有していたい「大きな畑」は貸すことができた。 大きな大きな肩の荷が下りた。 夫から相続してからのこの期間は 農業の後継者問題を痛感した4年間だった。 ※私が夫から相続した田畑に関する無料マガジンはこちらです。 https://note.com/tukuda/m/ma35047324572 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1726日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad 

人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】

専業農家の夫から相続した田畑の内、「大きい畑」はAさんに貸すことになり、先日、 手続きの関係でAさんが我が家へお見えになった。 風除室に立つAさんの頭上にはふわりと雪が乗っていた。 「寒いので中へ、どうぞどうぞ。」 私はそう勧めたがAさんは玄関で大丈夫ですと言われた。 私は事前に用意した印鑑証明書をAさんにお渡しした。 これで書類が進むとの事。ニッと笑うAさんの八重歯が印象的だ。まだ30代後半のAさんは私にはない若さとバイタリティを感じる。 Aさんは、次に、我が家の親戚のBさんの話をされた。 山田家の親族の中で、大本家様(だいほんけ様)の次に偉いBさんは、我が家がビニールハウスを解体処分したのを知り、その業者を教えてほしいと、以前、言われた。 ビニールハウスの解体と処分はAさんの知り合いにお願いしたので、私はAさんに事情を話し、AさんとBさんとでやりとりができるようにした。 その後、どうなったかは知らなかったし、知りたいとも思っていなかったのだが、Aさんはその件を話し始めた。 結局のところ、Aさんの知り合いにやっていただくことになったそうだが、話はそれだけではなかった。 なんと、事業拡大を計画しているAさんは、Bさんの畑を購入することになったそうだ。 Bさん夫婦は昔から手広く耕作をされていたが、もう80代になられ、足腰も弱くなり畑を手放そうと思っていたのだそうだ。 ビニールハウスを処分する件を話している時に、その話を聞いたAさんは、Bさんの畑を購入したいと願い出て、「売りたい」「買いたい」が合致して、話はトントンと進み、私の畑の賃貸借契約と、Bさんの畑の売買契約を同時進行することになったそうだ。 手続きは全て農業委員会の指示の下で行われるから確かなことだ。 つまり、なんと、私がビニールハウスを処分し、その業者を教えたら、Bさんは自身のビニールハウスを処分できたばかりではなく、使わない土地を売ることができたのだ。 何も知らない方だったら、これは美談と感じるだろう。 しかし、私はBさんの運の良さに嫉妬した。 どうしてこの人はそんなに運がいいのか。 ブラックな自分が左の背中の当たりでニヤリとしている。 以前のnoteに書いたが、少しだけご説明したい。 私の父が長年耕作していた畑と、Bさんが所有する田んぼをある意味、だまされたような形で「等価交換」した経緯がある。 昔々、ご先祖様からの遺産分けの関係で もともと大きな畑だったものを、手前をBさんに、奥の一角だけを父に遺産相続された。 父が相続した畑に行くには農道がなく、手前のBさんの畑を通らなければいけなかった。 長年、そのようにして使っていた。 そこでは、じゃがいも、人参、枝豆、トマトなどを栽培していて、私は小さいころ母について行き、もぎたてのトマトにかぶりついた思い出がある。 ある年から大本家様は父の畑をBさんの田んぼと交換しなさいと言うようになった。 「いつまで人の土地を勝手に通るんだい?」と何度も父は大本家様に言われるようになった。 しかし、父はそれに従わず、畑を続けていた。 しかし、時が過ぎるごとに大本家様からの言い方がきつくなっていった。 それはあとあと振り返ってみると、切羽詰まったものがあったのかもしれない。 大本家様の大きな圧力に父は屈し、仕方なく自分の畑とBさんの田んぼを交換した。 等価交換だからそこにはお金は発生しなかった。 その時父はただ単に、土地を交換すればいいとしか言われていなかった。 しかし、これには裏があったのだ。 父が手放した畑は、数年後に全て県道に変わった。 大本家様のお婿さんは県庁にお勤めの方で、どこにいつ、道路が作られるかを知ることができる立場にいた。 今私は仕事上、建設新聞を読む機会があるから、数年後にどこがどうなるのかは、業界外の人よりは情報を早く得ることができる。 入札の書類にも関わっているから建設をするずっと前から知ることもできる。 これが県庁職員のその部署だともっと早くに分かっているだろうと予測はつく。 尋常小学校しか出ていない両親は全くの無学である。 数年後に、自分の畑が県道になるとは勿論、知るすべもなかった。 それを知っていた大本家様がBさんに利益になるようにうまく取り計らったのだ。 その後、大きな県道ができ、Bさんはすぐに大きな新居を建てられた。 新築祝いに我が家も呼ばれたが、父は絶対に行かなかった。 当時、私は小学生だったから、あんなにお酒が好きな父が、Bさん宅に呼ばれたのに行かないのを不思議に思っていた。 その話を大人になり跡取りになった私は母から聞いた。だから、私も大本家様とBさんに対しては恨みがある。 知らないとは損なのである。 知っているものだけが得をするのだ。 今回、私がBさんにAさんを紹介したから結局、Bさんの土地が売れた。 どこまで行ってもBさんは運がいいのだ。そういう人は世の中にいる。 心が狭い女だと言われても、父の等価交換の件を私は絶対許さない。 Bさん夫婦は、私が何も知らないと思っているらしく、にこにこと私に近づいてくるが、にこやかに笑う私の本心は氷の様に冷えている。 ある日、娘たちにその話をした。 「そうなんだ。そんなことがあったんだ。 Bさんは土地で大金を得たけれど、幸せではないと思うよ。 だって、Bさんの跡取りであるお嬢様はもう50代後半だけど未婚でしょ。お金がたくさんあって大きく立派な家があっても、あとを継ぐ人がいないんだよ。 Bさんはバチが当たったんだよ。」 「お母さん。私たち、まだ全然予定はないけれど、でも、その内、お母さんに孫の世話をしてもらうから。それまで待っててね。」 私の周りをふんわり優しく包むような娘の言葉に 私は「うんうん」と頷いた。 ※私が夫から相続した田畑に関する無料マガジンはこちらです。 https://note.com/tukuda/m/ma35047324572 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1725日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad