『ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ〜第二章』 公演 ②
トライアウト公演の次の日、
私は、普通に仕事だったが、
職場に向かうことが出来なかった。
「休みます」と会社に連絡してから、
「さて、なぜ私は、会社に行けないのか」と考えた。
職場で嫌なことがあったっけ??
体調が悪いのか??
と、他人事のように考えていたら、
これは昨日観た、
カミーユ・クローデルの舞台が、
何らかの作用をしていると確信した。
仕事に行くという、当たり前の日常の均衡が壊れるほど、
いったい「何が、どのように」自分に作用しているのか、
本当のところは、今も分からない。
というか、言葉に出来ていない。
とは言え、
まず「坂田氏の音楽」だ。
彼の音楽は、すーっと、私の中に入ってきて、
これまで、心の奥の奥に押し込め、
自分でさえ見えないようにし、
さらに用心深く、贅肉に埋め、洋服で隠していたのに、
すーっと、入ってきて、重い扉を開けられてしまった。
私は、カミーユのように芸術家ではないが、
その人生に、
ある部分重なった。
この「表現する」という舞台芸術が、
ここまで人に強く影響を与えることに驚きながら、
その後、現実をフワフワと生きていた。
そんな中、
アマゾンのプライムビデオで、
カミーユの映画を観た。
映画は、カミーユが、
精神病院へ向かう車に乗せられ、走りだすところで終わる。
鍵をかけられた金網の扉を叩きながら、
見送る家族に、
カミーユは、
「なぜ??」という悲痛な表情を向けていた。
映画を観終わった時、
私の中に、またとてつもない「疑問」が湧き上がった。
「なぜ、宮本さんは、(作、演出、衣装を担当されている)
ワルツプロジェクトを立ち上げ、
精神病院で過ごしたカミーユを表現しようとしたのか?」
愛や別れ、裏切りや、魂を注いで作品を制作していた激動の、
ドラマチックな時代ではなく、
むしろ「空(くう)」にも感じられる精神病院での30年を、
ただの「悲劇的なこと」と終わらせずに、
年老いていくカミーユの生き様を舞台にしようとしたのか?
「いったい、宮本さんは、どんな瞬間に、その発想を得たのだろうか?」
毎週更新されるYouTubeチャンネル、
「ワルツプロジェクトバンド」を楽しみつつ、
疑問は、ずっと宙に浮いたままだった。
※この頃の私は、すでに会社を退職し、
ビジネスポジティブはそのままに、
一人、一日一日を生きていくのが精一杯だった。
③に続く
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