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『ワルツ〜カミーユ・クローデルに捧ぐ〜第二章』 公演 ③

「第二章」の公演が11月に行われることを、
登録していたラインのメッセージで知る。

私は、すぐさま友人に、
「これを見に行きたい」とメールをしていた。

友人は、早速、チケットを手配してくれたし、
「絶対にもう一度、カミーユの生き様に触れたい」という、
私の意思も強かった。

しかし、何気なく観劇した一回目とは違い、
あの緊張感のある特別な空間で、
「咳」をしてしまったらどうしようと考えると、怖くもあった。
※電車や職場、人の多いところで、突然「咳込む」現象に悩まされている。

11月12日、会場となるスタジオアッシュに到着し、
中に入ると、
客席は、中央を囲むように配置されている。
これでは「咳」が出てしまったら逃げ場がない。
とにかく咳止めの薬をこれでもかと服用して備えた。

〜黒(闇)から白(光)へ〜

スタジオの中央には、
白い衣装が、
天井から床まで流れるように展示されている。


この「ワルツ」は、
修道女の目線からカミーユが語られるが、
今回、カミーユ自身も、
実際には発することはなかったであろう、
精神病院の中でありながらも、
最後まで生ききった、
「一番大切な思い」、
その「魂の叫び」自ら語る。

彼女の彫刻への思い、
逃れることが出来ないほど、強く深くロダンが心に刻み込まれていること、
それらの言葉には、
とてつもない説得力があった。


カミーユは、精神病院の中で、
世捨て人のようになり、
無為に生きながらえていたのではなかったのだ。

神に祈りを捧げるがごとく、
最後まで自分と向き合い、
心のなかで、
いくつもいくつも、
命を注ぎ、
何かを創り出すことを、
続けていたのだ。


私は、「ワルツ」のトライアウトを見ても、映画を見ても、
「なぜ」と、分からないことがあった。

プライドも高く、美しく、才能あるカミーユが、
どんなに懇願しても、ロダンはローズの元へ去って行く。
彼女の激情は、
自らが命を削って制作した作品を破壊するまでに至る。
これは、激しい破滅的行為だ。

けれど、彼女は、決して自らの命を絶ったりはしなかった。
命を全うした。

30年間も精神病院に閉じ込められていたというのに。

いったい、何を心の支えにして生きていたのか、
それが全く、わからなかった。

むしろ、芸術家である自分は作品と共に破壊してしまい、
そこに残っていたのは、
一人の人間、
クローデル家の娘としてのカミーユだったのかとも考えていた。

④へ続く



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