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過去の記憶はニオイとともに

ロッキーホラーショーの一瞬のサイケデリックな照明に魂を撃ち抜かれてから2週間。

この時に思い出した、ある一冊の本のことが頭から離れなくて。。。時々その照明の色合いを思い出しては、記憶を一つ一つ探っています。その色合いを忘れてしまうと一生思い出せない気がして。。

似ている本がいくつかあるんです。

やっぱり好きだった「ぐるんぱのようちえん」とか「うみのがくたい」とか「ごろごろにゃーん」とか。でも、もっとビビッドな色彩でマゼンタ色が強烈だったので、これらではありません。

図書館でも絵本の書棚を片っ端から探しました。タイトルを読めば分かるかも、と眺めましたが全く引っかからず。

と無為な日々を過ごしていたのですが、ある日のこと、それは突然降りてきました。

不意に、実家にあった押し入れが思い浮かんだのです。

ほとんど開かずの押し入れでした。その中に置いてあった母の嫁入り道具の三面鏡が好きで、小さい頃は時々開けては一人で三面鏡に顔を突っ込んで遊んでいました。無限鏡というのかな、どこまでも自分の横顔が連なるのが面白くて。
どれか一つでもこっちみてくれたらイイのに、って思いながら。

そんなことに思いを馳せていましたら、ふとその時のニオイが甦ってきました。母が若い頃に使っていた化粧品が捨てられないまま、その三面鏡の引き出しに入っていました。そのちょっとすえたニオイというかなんというか、懐かしさと一緒にいろんな記憶が。。

朱肉みたいな入れ物の真っ青なアイシャドウとか、高そうな瓶の化粧水とか。。

そしてその三面鏡の裏には、たくさんの本が仕舞われていたことを急に思い出したのです。

その本たちは訪問販売で両親が買ってしまったものです。
ワタシの小さい頃は訪問販売というのが、割と盛んでした。行商といった方が良いのかな。数年に一回箒を売りにきたりとか。

うちの親はそんな人たちから、たくさんの本を買っていたんです。

平凡社の百科事典とか、ブリタニカとか、そのほかにも図鑑もありました。ワタシがまだ3歳の頃に買ったという英語の百科事典みたいなのも。

その英語の本は、父が「一人くらい英語やる子供がいるだろう」と、キレイな女の人が売りにきたのをそのまま買ってしまったものです。その上父は、その人を最寄り駅まで車で送って行った、と母はずっと怒っていました。

そのせいで、その英語の本は仕舞い込まれたままだったのかもしれません。母はそういう人だったので。

その仕舞い込まれた本を、時々こっそり出しては眺めていました。

裏表紙にセルロイドのレコードがついていて、何か歌か英語が入っていたような気がします。その中のお気に入りの一冊が、そのサイケデリックな色調で、凄くキレイな色合いの本だったのです。水色に黄色に黄緑にそしてマゼンタ。

同じシリーズで覚えているのは茶色の本で、その中には土星が描かれていました。サイケの本は中身がどうしても思い出せません。

その後、小学生の頃にはすっかりそんな本の存在は忘れてしまい、取り出して読むこともありませんでした。8年前に母が亡くなって実家を片付けた時に、それらの本も一緒に廃棄してしまったといまさら気づきました。

嗚呼もう二度とあの本を手に取ることはないのかと、とても悲しくなりました。タイトルもわからないし、きっと図書館にはおいてない本です。

ですが、今でもはっきりした色が好きなのはその本の影響です。中でもマゼンタは大好きな色です。
小さい時の記憶というのは消えないものなんだなぁと。まさに「三つ子の魂」です。

さらにそれらの記憶が、ニオイと共に蘇ったことにも驚きました。ワタシは事故で嗅覚を失っているのですが、ニオイの記憶というのは忘れていないのだなと。実際にそのニオイがしなくても、情景とともにニオイがよみがえることに気づきました。

何とも不思議です。

照明の一瞬の色合いがきっかけで、いろんなことを思い出しました。おかげでちょっと脳が活性化した感じです。

そして今回のことは、もうちょっと嗅覚を鍛えなさいってことなのかな。まだ治る可能性はゼロじゃないから。懐かしいニオイを思い出すという新たな刺激も加わって、別の回路が開いた感じすらします。

本当に少しづつですがよくなっていて、今日はだいぶ遠くで咲く沈丁花の香りがわかったりして。

それまで感じなかったニオイが急にわかるようになる、そんな喜びを時々味わっています。


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