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池田晶子さん〜その2〜

他にも数冊を読んでいたのだけれど、待ちきれなくて昨日からさっそく読み始めてしまう。そしてわずか6頁目にして、胸ぐらをつかまれてしまう。そこから先に進めない。

はじめに 14歳の君へ
 人が生きてゆくのは、良い人生を生きるためだ。自分にとってのよい人生、幸福な人生を生きることが、すべての人の人生の目的だ。悪い人生、不幸な人生を生きたいと願う人はいない。すべての人は、よい人生を生きることを願っている。それなら、人は、悪い心でよい人生を生きることはできるだろうか。人をだましたり、人を蹴落としたりしながら生きてゆく人が、よい人生、幸福な人生を生きていると君は思うかい?
 悪い心になった時、人はよい人生を生きることができなくなるのだから、生きる目的だって、本当はなくなっているんだ。悪い心になってまで生きなければならない理由なんか、本当はないんだ。

60歳を目前にして、ワタシにとっての「よい人生」とは一体なんなのだろう、と考え込んでしまいたくなる。

でもココは一発、単純に考えてみる。
要するに、「よい心」で生きればいいのだわ。

「よい心」つまり、自分にとって違和感のないもの。
自分のキモチが進みたい方向は、自ずと決まっている。
それが時には、正しくないこともあるのかもしれない。

そもそも《タダシイ》って何だ⁉️
《タダシイ》《タダシクナイ》って誰が決めるの❓

それは、自分が決めるモノではないかしら。
コレまで生きてきて、自分が得た様々なモノたちを、頭の中で闇鍋みたいにごった煮にして、考えに考えて得られるモノ。

だから、14歳の時のワタシと今のワタシでは、《タダシイ》ことはだいぶ違う。それが当たり前。そうじゃないとコマル。
それは成長してないってことだから。

そしてこんな時に、頭をよぎる最高の哲学的名言がコレ。

コレでいいのだ。

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