あれから9年

こんばんは。
ニートから脱出し2日が経ち、明日はお休みです。
もう辞めたいです笑
何が嫌って、普段他人と接していない生活だったから、急に上司や先輩と分類される人に
どう接していいのかがわからないんだよな。
失礼なことを無意識に言ってる気がする・・・ごめんな!笑←反省の色なしw
社会不適合者とはこのことか~と実感。
(だてにちゃらんぽらんずやってないぜ😌笑)
生きるって、お金稼ぐって大変なことですね。笑

さて、明日はお休みで、わたしはやらなくてはならないことから逃げてこれを書いてます。笑
そう、みんなも経験したことあるであろう「明日やろう~」です。笑
ほんで明日もやらなくてめちゃくちゃ焦るやーつねwww
え、みんなそこまでではないって?👂🏻笑

バイトが終わり、美容皮膚科に行ってきて、チラッと駅ビルを見て、
買い物してる場合か?でも見るだけでも気分転換になるかなーと思いながら。
勉強しなきゃ・・・の気持ちが自分のことを追い込んでいる気がして
(まったく、わたしったらほんとに真面目なんだから。)なんて自分でツッコんだりして。
真面目すぎたり、「やらなきゃ」という気持ちが強すぎたりするとストレスばかりがたまってしまうんだけど
そーゆー性格だからしゃーないな~って気持ちと
「長い期間になるんだから、確実にゆるくいこーや」という気持ちが混ざっています。笑

そうだ、今日この勉強しなきゃいけない時間にnoteを書こうと思ったのは
東日本大震災から9年というニュースを見たから
(9年か~いろいろあったなー)という流れでした。
当時わたしは弟と地元のスーパーにいて、袋詰めが終わったところでした。
駐車場に向かおうとしたその時、音とともに駐車場が揺れました。
波打つ地面、縦横上下にゆれる車たち。
家にはママと妹と下の弟が。早く帰ろう。
揺れた直後ということもあり、渋滞はしてなかった。
そして近所でよかった。
上から何かが降ってくるかもしれないと思い、揺れが止まったらソッコーで車に乗りママにでんわ。パパにも電話。
そんじょそこらの苦労よりもレア経験してきたわたしは
窮地に立たされた時の判断力と行動力が抜群にいいことを思い知った出来事でもあった。

帰ってニュースを見て衝撃だった。緊急速報の音がずっと鳴ってた。
茶色い海になった街。電柱のようなものに登って助けを待つ人。
わたしは6歳まで会津若松市に住んでた。
おばあちゃんの地元は福島だ。
おばあちゃんは5年前に関東の実家に同居してたから、おばあちゃんが同居することになって
ほんとによかった~と思った。嫁姑問題はあったけど、「死」に比べればそんなのおままごとだ。

で、今日のニュースを見て思ったこと。
「わたし、9年で何が変わったかな~」だった。
まったく知らない他人だけど、亡くなった方の家族のことを思うと目頭が熱くなる。
わたしはたまたま大丈夫だったけど、もし大事な人が亡くなって自分だけ生きてしまったら
自分も死にたいと思いながら生きていたんだろうな。
いつ「そんなことを思ってはいけない何があっても生きていかなくては」
と切り替えることができるんだろうと思いながら生きていたと思う。
当時9年前は25歳。家族の症状も落ち着いてきて、やっと普通の家族になってきたところだった。
2年後には6年付き合った元夫と結婚し、その2年後には専門学校に行く。
その1年後には憧れの1人で都内進出、別居して離婚。
今の夫と出会い、2年後に再婚。
家を買い、妊活をしている今。
亡くなった方が生きていたら、こんな人生を送ることもできただろうな。
死んだら何にもできない。
妊活で悩んでる場合ではない(と言ったら大げさだし生きてるから悩むんだけどねw)なーと。
ま、一番はこれを書かないで勉強しなさい、が正論かもしれないんですがw

でも、こうやって書いてみるとわたしの9年すげーな~って思っちゃった笑
めちゃくちゃ詰まってるやんwww
生きれなかった人、わたしは頑張って生きています。
生きれなかった人の家族、本当に悲しい気持ちをわたしも忘れません。
これからも、毎日思い起こすことはないかもしれないけど毎年3月11日になったら
自分のことを振り返りながら追悼しようと思います。

さて、頭痛と戦いながら勉強します。
おやすみなさい。

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