生きるために食べること

私は最近まで、釣った魚を食べることができなかった。
理由は可哀想だから。
さっきまで生きていた魚を食べるなんて
一瞬でも関わると、愛着が湧いてしまう
昔は釣った魚を、お風呂で飼って
死んだら埋めた。
鰻も浴槽で名前をつけて飼っていた。
わたしは今も自分と他者を切り離すことが苦手だ。
最近は、釣った魚を食べることができるようになった。
スーパーで買った魚は食べることができたので
生きている姿が見えているか見えていないかで
自分の中で線引きがあったのだと思う。
今はいい意味で、魚と自分
自分と他者が切り離せるようになってきたのだろうか。
見えている部分と見えていない部分。
圧倒的に見えていない部分が世界のほとんどなのに
見えている情報にこんなにも左右される人間は
不思議だと思った

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?