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石川県能登半島地震について

2024年1月1日 21:00頃 始まり
こちらは特に揺れもなかったので、最初は地震があったの氣付かなかった。LINEとか見て地震があった事を知る。情報を色々見ていたら感情が込み上げて来て、何か一つでも支援したいと思い、今ある物で準備を始めた。

2024年1月2日 1:00頃 出発
石川県輪島市までは約600km、車で高速道路を使って9時間くらい。
2日中に支援物質を届けて帰る想定。最低でも1泊して3日に帰る段取り。自分の食糧は、おにぎり7個、味噌汁少々、ミカン4個、お菓子少々、水。

2024年1月2日 9:00頃 金沢市周辺に到着
地震の影響で、高速道路で輪島市にすんなり行けず。
金沢市に来るまでに、結構な数の護送車を見た。
11時頃に少し物質を買い足し、輪島市へ向けて出発。
しかし、輪島市から約90km離れている地点にも関わらず、渋滞していてほとんど進まない状態。結局、七尾市付近まで行けたのが、16時頃だった。

ナビ通り行った道が、木が倒れて道を封鎖していた。
そこで、自分と同じくたどり着いていた人がいたので、色々話しをしていたら、自分と同じ出身県と分かってビックリした。もはや奇跡。
しかも、この人達に出逢わなかったら、自分はおそらく輪島市に行けてなかった事を後々知る。
その人からの情報では、全てのルートを行ってみたが、現時点ではどの道も輪島市への道は塞がっていて通れないとの事。今なら分かるけど、この時おそらく海沿いルートから、土砂や木材の撤去をしてたんだと思う。

これからどうしようかと考えていると、他にも自分と同じ様に辿り着いた人が数人いた。その中で、ふと声をかけてみようと思った人がいたので、声をかけてみたら地元の人だった。色々話していたら、「テレビを見て来られたんですか?」と聞かれたので、「そうです、ニュース見て支援しようと思って来ました❗️」って言ったら、「ありがとう」と言って、泣いてました。心の綺麗な女神だなと思った。
自分の周りには、素晴らしい女神ばっかりですね。
さっきの自分と同じ出身の人達の中には、小学校6年の女神がいたし。

自分と同じ出身のM氏に連絡したら、一旦県庁に戻って明日またルート探して行くとの事だったので、自分も県庁に戻ろうと思った。
ちなみに、この周辺ではもうガソリンスタンドのガソリンが枯渇していましたので、県庁付近に戻って給油。帰り道、また複数の護送車とすれ違った。

2024年1月2日 19:00頃 県庁到着
特にすることもないので就寝。
ガソリンを無駄に使えないので、暖房なしの車中泊。
4時発を予定にしていたが、寒すぎてほぼ寝れず、5時発に変更。
30分も寝れなかったと思う。

2024年1月3日 5:00頃 県庁出発
各ルートでどこか通れる様になっていないか探したが見つからない。
1ルートだけ、重機が入って土砂や木材の撤去作業していた。
自分と同じく、ルートを探している人と沢山逢った。
輪島市の友達に食糧を届けたいという人や、県外からも色々来ていた。

10時代に、地震にあった。地震アラートも鳴ったからビビった。
ちょうど、駐車してたので揺れがよく分かった。
たまたま、周りが農地の平場で助かった。

2024年1月3日 12:00頃 穴水町へ
どこも通れず、どうしようかとM氏に連絡したら、今輪島市に到着したところとの事。穴水町側の海岸沿いから行けるが、何時間もかかると。
7時間近く彷徨って精神的にこたえていたが、ここまで来たら勿論行くしかない。とりあえず、穴水町を目指す。

2024年1月3日 13:30頃 穴水町到着
ナビ通り行きたいが、この町も建物崩壊や道路破損で、通れる所と通れない所があり、迷路みたいな感じで少し彷徨う。
100万人プロジェクトさんの車を見た。

2024年1月3日 15:00頃 輪島市への道を逃す
ここからが地獄の始まり。
すぐUターンで引き返えそうにも、既に帰り側の道は渋滞でほぼ動いてない。ナビで最短の別ルートを行ってみるが、そこは反対車線が崩壊していて、ぎりぎり進行側の一車線が通る状態。下手したら落下して終了。
それをなんとか超えたのも束の間、今度は進行側が破損で通れず、反対車線側は今にも崩壊しそうなくらいの凹みがある。一見通れそうに見えるが、車が乗ったら重量かかって崩壊するんじゃないかという超プレッシャー。生死の分かれ道。引き返すことも出来るが、これを渡れたら辿り着けるかもという迷走。
結局悩んだ末、行くことにした。まぁここで死んだらそれまでのこと。
いつ死んでも良い覚悟はあっても、実際直面すると緊張で心臓がドキドキする。

幸い崩れずに行けて、嬉しくて先へ進んだら、なんと、通行禁止の看板が置いてあった。
「はあああああぁぁ?今来た道を戻れと??www」
さすがにメンタルに来た。なし汁ブシャー。
てか、どこに看板を建ててるの??もっと手前から建ててよ!!

あしたのジョーばりに真っ白になっていると、こっちに向かっている車が一台。こっちまで来てしまった。
来た道を戻りましょうということで、その人達が裂け目にタイヤが落ちないように、車を誘導してくれました。心優しい方でした。
そうこうしてたら、もう一台来たので、この先は絶対に行ったらいけないことを念押しで伝えてました。
次に示す最短ルートがあったが、おそらく通るの無理だろうと思って、もうUターンした。

ホント車が全く進まない。
日も暮れて、このまま車中泊するんじゃないかってくらい。
渋滞を抜けるポイントまで、たった数kmしかないが、4時間くらいかかった。勿論、暖房は使えない。ガソリン切らしたら終了だから。

2024年1月3日 19:00頃 輪島市へ
渋滞ポイントからは、車はほぼなかったけど、道が暗くて通れるところが分かりづらくて、彷徨っていた。
車中泊している住民の方に、輪島市への道を聞いたら、丁寧に教えいただきました。こちらはいくらか物質をお渡ししました。
あと、自分がどこの出身かを知ったら、驚いておられました。

ひたすら輪島市を目指すが、常に道路破損と障害物。
輪島市に着いたら、建物崩壊、道路破損、暗くて見にくくても酷い状態なのが分かる。市役所を目指すが、橋も破損してて回り道ばかりですんなり行けず。

2024年1月3日 20:00頃 輪島市出発
市役所に無事支援物質を届けた。
市役所では、避難者がかなりおられました。
少しでも足しにして下さい。

来た道を戻るが、さっきの渋滞ポイントでまだ渋滞は続いていた。
追い越しした車が一台いて、警察に注意されていた。
警察が見てないとでも思ったのか?
結局、20kmしか離れてない穴水町に着くまでに、約5時間かかった。
もう2024年1月4日の1:00頃。金沢市付近に戻って、3:00頃。
仮眠とか色々して、自宅に戻ったのが16:00頃。

お疲れ様でした。

まとめ
今回初めてかつ突発的だったので、色々反省や経験になりました。
やはり実際に現場で見ると、どれだけ酷いのかが心に刺さる。
帰ってニュースとか見てると、まだまだ滞在して支援したかったです。
全国から皆んな支援しに行っていますので、地元の皆さんはどうか希望を捨てないで下さい。

最後に
今回のことでめちゃくちゃ違和感を感じたことがある。
それは、全てのルートがピンポイントで封鎖されてること。勿論、地震の揺れもあるけど、それにしても、一定の場所だけ綺麗に崩れるものなのかなと感じた。もしかしたら、実験でDEW使ってたりするとこもあるんじゃないかと。知らんけど。





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